いつからあったのか、どこで手に入れたのか、すっかり忘れている箱根細工の入れ子の七福神がいます。
招き猫、だるま、福助など、庶民の信仰に結びついた縁起物が好きな私ですが、七福神はなんとなく好きになれないので、たぶん、骨董市(ほかの可能性がない)で見かけて、
「まぁ、買っておくか」
ぐらいの関心しかなかったので、時間が経つうち忘れ果てていたのでしょう。
七福神とは言え中は空っぽ、寿老人だけでほかの6人は失われていました。
それゆえ、値段も安かったものと思われます。
玩具博物館の展示 |
ロシアのセルギエフ・パサードの玩具博物館には、1890年代に箱根を訪れたロシア人が持ち帰り、セルギエフ・パサードの芸術村で、それをもとに、画家のマリューチンと、轆轤師スビョズドチキンによって、最初のマトリョーシカがつくられたと言われている、入れ子の七福神が展示されています。
かつて、七福神の入れ子は箱根でつくられていましたが、箱根の入れ子細工は現在は後継者もなく、寂れる一方のようです。
『ロシアのマトリョーシカ』より |
しかし、こけしの産地東北では、今でも入れ子人形がつくられていて、『ロシアのマトリョーシカ』(スヴェトラーナ・コロジャーニナ著、スペースシャワーブックス、2013年)には、遠刈田の小笠原義男さんが2010年につくった七福神が載っています。
『マトリョーシカ大図鑑』より |
日本の入れ子人形は七福神だけではないようで、『マトリョーシカ大図鑑』(沼田元気著、二見書房、2010年)には、だるま、こけしなどの入れ子人形が載っています。
ところで、さすがです。
道上克さんの、『マトリョーシカアルバム 2019』には、箱根でつくられた珍しい入れ子人形が載っています。
これは何でしょうか?
修験者が修行を積んで達磨になったという物語でしょうか?でも、だるまさんにしては、手が見えます。まだだるまになる途中なのかもしれません。
そして、全部女性の入れ子です。
修験者も女性も、明治時代のものです。
一番大きい女性は、手に羽子板を持っています。
全部女性であることといい、右手に羽子板を持っていることといい、まるでロシアのセルギエフ・パサードのマトリョーシカのようです。
箱根と東北、箱根とロシア、ロシアと東欧諸国など、入れ子人形は人の手によって運ばれて、それを目にした轆轤の職人さんたち、絵つけをする職人さんたちは、お互いに刺激を受け合っていたのでしょう。
もちろん、電気のない当時の轆轤は足で蹴るものや、手で回すものなどでした。
ところで、私の持っている寿老人は、筑波山と書いた紙だか巻物だかを持っているのが不思議です。
箱根でつくられていたにもかかわらず、筑波山でも売られていたのでしょうか?
道上さんのお話では、中をくりぬいたものは、入れ子人形だけでなく、経文入れもあったそうです。
ただ、これが寿老人であることから、最初から単独のものと考えるのは難しいこと、中の6人が失われてしまったと考えるのが自然に思えます。
貴重な資料をありがとうございます。
返信削除匿名さん?
返信削除コメントありがとうございます。
私はほんの聞きかじっているだけですが、お役に立てたなら嬉しいです。
貴重な資料ありがとうございます。
返信削除飛鳥時代に奈良県當麻寺の西塔に三重の入れ子式仏舎利容器。
あったのですね〜
匿名さん
返信削除当麻寺の入れ子の仏舎利容器は金、銀、銅ですよね。金属を板にして、それを叩いて立体にするという技術もすごいものですが、電気動力のない時代に、木を挽いて器を作るという、法隆寺の百万塔もすごい技術ですね。