栃木県に住むmaicaさんから、小包が届きました。
開けてみたら、なんと包みが4個もありました。
「うわぁぁ、すごっ!」
左から、かも川染、ゆたか染2本、そして箱入りはキンペー染です。
すごい!、すごい!
染料ビン祭りです。
左のゆたか染は、緑色のビンに入った、国防色の直接染料で、木綿、麻、人絹、スフなど用です。
説明書つきですが、開いてみようにも、固くてビンを上にすっぽり抜くことができません。
底を開いて、下から押せば抜けるかと、底だけ開いてみましたが、ビクとも動きません。
包装紙の中に説明書があるのは明白です。
包装紙をすっかり外さなくては、ビンを見ることができませんが、決心がつきません。
開く気になればいつでも開けるので、結局開くのはやめてしまいました。
キンペー染のキンペーとは、何を表しているのでしょう?
日本語なら、キンペイになるはずです。
蓋はベークライトです。ちなみに、ベークライトとはフェノール・ホルムアルデヒド樹脂のことで、フェノールとホルムアルデヒドを合成して1907年につくられたもの、植物原料以外からつくられた世界初の合成樹脂(プラスティック)のことです。
熱に強いので、お鍋の持ち手などによく使われました。
こちらは、説明書が読めます。
染料の容器として、石油の空き缶を推奨していることに、時代が偲ばれます。
戦後すぐのころでしょうか。
キンペー染は大阪で製造しているにもかかわらず、何故かビンにまで「大阪 東京」とエンボスを入れています。最大手の染料である東京日本橋のみやこ染を意識していたのかもしれません。
というわけで、一気に染料ビンが増えました。
maicaさん、ありがとうございました。
いろいろな情報が観られて楽しいですね、
返信削除いつも台所にいた母のイメージに繋がります
もっと話をすれば良かったなー。
昭ちゃん
返信削除私ももっと父と話せばよかったかなぁ。でも今だから言えることで、できなかったと思う(笑)。
人生、そんなものですね(^^♪
遅くなりました!!
返信削除どういたしまして~。
キンペー染が面白いですよね。
小さな丸瓶にエンボスが嬉しいです。
私が確保しているものは金属蓋もあります。
紙巻のゆたか染は透明瓶に横文字でゆたか染とあります。
確かラベルもあったかな?参考までに。
maicaさん
返信削除ありがとうございました。
染料ビンはどれも決まってエンボスがあるのが嬉しいところですね。
どうしようかなぁ、外してみようかなぁ。しばらく悩んでみます(笑)。
白いビンと緑のビンがあるのも素敵です。それにしても家庭用化学染料の黄金時代の姿が、垣間見られて、興味は尽きません。
和服姿の人が染めている絵を見て思い出しました。
返信削除ずいぶん以前に読んだ話ですが、貧しい家の子が主人公で、進学か就職だったか(?)で、母親が袴を黒く染めてくれた。その後そのお釜でご飯を炊いたらご飯が黒くなって、お赤飯じゃなくて黒飯だと笑っていた…。
というような場面だけ印象に残っています。九州の話だったような…。
昔の人、丁度その染料の瓶の時代の人は衣類を染めるのは割と普通だったのでしょうか?
今でも手芸用品店には染料が売られていますが、あまりに面倒そうな説明で、大きな鍋もないし…さほど一般的ではない気はしますが、需要はあるのでしょうね。
karatさん
返信削除ご飯が黒くなったとは、ちょっと恐ろしい話ですね。特に化学染料だったら。はっきり言って毒です。
でも、それって実話ですか?普通、貧しくて両用しても、ちゃんと洗えば、ご飯は黒くならないと思います。
私が学生のころ、夏休みにみんなで海に行って合宿したとき、男の子がパンツを洗った金盥でカレーをつくりました(笑)。私はびっくりしましたが、みんなは、笑い飛ばしていました(爆)。
染め物は当たり前の時代がありました。とくにものがない時代、子どもに着せてやるセーターがなかったり、お布団を着物地でつくるときなど染めていました。母は、布団用の布を折り鶴の絞り染めにして、祖母から、「つまらないことに手をかける」とその時は叱られていましたが、祖母はそのお布団をずっと、ことのほか大切にしていました。
染め物をすると、台所には独特なにおいが充満しましたが、「あぁ、また何かできるのだなぁ」と楽しみにする気持ちになっていました。
戦中戦後は特に、どこの家庭でも染めものをしたのではないかと思います。手持ちの白い布を国防色に染めたりして。だからこんなに染料ビンが残っているのでしょう。
1970年代にはイギリスから木綿も簡単に染まるダイロンが輸入され、その明るい色で一世を風靡しましたが、今は必要に迫られて染め物をしている人は皆無だと思われます。