昨秋、11月の陶器市のおりには、雨漏りするのか茅葺き屋根にシートを何枚もかけた無残な姿だったので、他人事ながら心配していたところでした。
よく晴れた昨日、見に行ってきました。
屋根の上では、職人さんたちが働いていらっしゃいました。
棟はどんなだったか忘れてしまいましたが、右の曲がり屋の棟のように、瓦を乗せるのかもしれません。
裏手に回ってみると、裏にも職人さんが。四方が同時に葺き替えられていました。
職人さんは全部で6人、みんな若い方たちでした。
茅を不足なく供給して、下から手助けするお二人は年配の方たちでした。
手助けする方にうかがうと、職人さんたちは、秋田、山梨などいろいろなところからきていらっしゃるそうです。
そして、お二人は宇都宮の方でした。
建物の裏には、まだ中庭に運び込まれていない茅が積み上げてありました。
茅はもう、あらかた屋根の上ですから、一時はここに高く積みあがっていたに違いありません。
今使っている茅は富士の裾野の御殿場から来たもの、中には熊本の阿蘇地方から運ばれた茅もあったそうです。
2か月ほどの作業で、すでに八割方出来上がっていました。
雨が降り込むのか、わら屑が落ちてくるのか、室内の天井はあちこちブルーシートで覆われていました。
交差点の反対側から見た、全体です。
春の陶器市には、美しい姿を見せてくれることでしょう。
入り口のところには、これまで気づきませんでしたが、ススキ(茅)が一株植えられていました。
昨秋、東京下谷の柳通り沿いにある藍染め屋を見学させて頂きました。都内で藍染めをしている所はこちら以外殆ど無いとの事でした。周囲はマンション建設が盛んで、こちらの向かいの建設中のマンションが完成したら、染の干し場に日が当たらなくなるだろうとの事。
返信削除益子は、東京よりも環境は適しているでしょうが、茅葺屋根を維持しながら藍染めを続けられていらっしゃる職人さんの存在を嬉しく思います。
reiさん
返信削除東京でも、藍染め屋さんが残っているのですね。
40年ほど前には、鬼怒川のほとり、水海道の近くに、たったの一軒だけ紺屋さんが残っていました。みんな廃業して、最後の一軒も廃業寸前でしたが、甕を叩き壊すくらいなら、部外者や女性を受け入れてもいいのではないかと染色家から進言され、その方(古いことで名前も忘れた)は思いとどまったとおっしゃっていました。つくばに住んでいたころは、時々、友だちと一緒にわいわい染めさせてもらいに行きました。一日一組を受け入れていらっしゃいましたが、息子さんはお勤めだったので、もうやっていないかと思います。
益子の藍屋さん、とってもいいです。
この竹の足場は最終的に撤去するのでしょうか?
返信削除それにしても長いススキですね。この長さのものを大量に集めるのは大変そうです。
甕のある風景、趣ありますね。グーグルマップでこの藍染屋さんをみたら、藍染屋さんから北へ延びる道路が「藍の道」って書かれていました。
hiyocoさん
返信削除これは屋根足場と言われるもののようで、最後は上から、茅をきれいに刈り込みながら外していくようです。
急斜面でどうして仕事できるのかと思っていましたが、この足場が重要だったのですね。
ススキは長かった!内町工場の店長さんのお話では、かつては浜田庄司の住処跡の「益子参考館」の西のあたりに大きな茅場があったそうですが、今ではないそうです。文化財を葺き替えたりするときは、全国から茅を集めるのでしょうね。
藍の道は気がつきませんでした。あの道はもう20年くらい前から新しくて広い(情緒もない、笑)道になっています。昔はどうなっていたかは、覚えていません。
藍染屋さんの角から東へは城内坂(じょうないさか)で、ここがいろいろなお店が並ぶ益子のメインストリートです。
新型コロナウイルス騒ぎが収束して、GWには陶器市が開かれるといいのですが。
藍の道は、広い道と日下田さんの間にある細い道です。
返信削除かろうじて車が通れます。
脇に用水が流れていて、広い道に出る手前のあたりは昔ホタルがたくさん
飛び交う場所でした。
kuskusさん
返信削除ごめん、地図を見てもよく理解できてません。
城内坂下の交差点を北に取ると広い道で、その道は用水路に沿っていますが、日下田さんの脇を通るのがその広い道で、それに沿っている細い道はありませんよね?裏で東に曲がる道はありますが。
グーグルマップには広い道を藍の道と記してあります。
かろうじて車が通れる、用水路に面した道ってどこだろう?
今度詳しく教えてくださいね(笑)。
あれ? 藍の道って日下田さんの裏にあるバイパスに抜ける細い道のことだと
返信削除思っていましたが、その道もずいぶん長いこと通ってないうちに広い道になってしまったんですかね。
今度益子に行った時に確かめてみます。
kuskusさん
返信削除いずれにしても、藍の道があったんですね。
あの用水路は農業用だけでなく、紺屋さんも並んでいたのですかね(^^♪
どこに行っても古地図を見たくなってしまいます。