いつも長椅子に掛けている、裂き織りの布を洗濯しました。
裂き織りとは、いろいろな木綿の古着布を裂いて緯糸(よこいと)にして織ったもの、経糸(たていと)には麻が使われました。
裂き織りは、寒さが厳しくて木綿を育てることができない北国で考案された織り物で、北前船で運ばれてくる木綿布を裂いて、厚みのある布に織りました。
日本の暖かい地方で木綿が栽培されるようになり、綿織物が潤沢に出回るようになって、木綿が栽培できない地方にも北前船で綿織物がもたらされる以前、北国の人々の衣類はすべて麻(大麻やカラムシなど草から採った繊維)でした。
岩手県北部の山間の村の、明治37年(1904年)生まれのお年寄りは、
「木綿を初めて着たとき、たまげで(たいへん暖かいと感じた)」
と、語っています(「岩手の麻栽培と麻布」『染色 α』1998年3月号)。
また、『明治女性史』(村上信彦著、理論社、1969年)には、青森のお年寄の中には、生まれてから死ぬまで、麻の着物をたった3枚しか持っていなかったと語った人もいた、と記してあります。
裂き織りは、信州(長野)、佐渡(新潟)、南部(青森)などで、とくに盛んにつくられました。
北前船の航路。『裂き織りの本』(八田尚子著、晶文社、2000年)より |
『新・木綿以前のこと』(永原慶治著、中央公論社、1990年)によると、1800年代初頭、北前船の扱う布は、新しいものより古着の方が多かったようです。
裂き織りが盛んになってからは、古着としては着られないほどぼろぼろの布も、裂き織り用として運ばれました。
長椅子に敷いて、いつもどさっと座ったり寝っ転がったりしているせいか、何度も洗濯したせいか、ところどころ、新たに破れてきました。
「繕った方がいいかなぁ?」
「わぁぁぁ!」
絣布の下に重ねて芯布として使っていたのは、麻(大麻)の、藍染めの手織り布でした。
これこそ、北国でつくられ、使われた布です。
花巻の農業伝承館では、大麻の野良着を見ることができましたが、私が持っているのは木綿の野良着だけ、実際に使われていた大麻布を手にするのは初めてです。
しかも、こんな偶然の形で。
しばらく前に、山本あまよかしむさんの「ルーマニア、大麻布復元のとりくみ」(8月末まで閲覧可能)を拝見しました。
日本だけでなく温帯のヨーロッパにも、日本同様「木綿以前」が長く続いていました。ヨーロッパでは亜麻が一般的であったのは知っていましたが、大麻も育てられ使われていた、しかも大麻を暖かく着るために糸の紡ぎ方も工夫されていたことを知り、興奮冷めやりませんでした。
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