2020年11月3日火曜日

分厚いビン


小さな飴屋ビンです。
型の中に吹いてつくったものですが、とっても薄いところがあって、ビー玉を出したり入れたりしている間に、いつの間にか割れてしまっていました。
広範囲にひびが入っているだけでなく、割れて落ちているところもあり、触るのも恐ろしくて、長く見て見ぬふりをしていましたが、金継ぎのほん陶さんのご助言によって瞬間接着剤で修理、以後、触っても怖くない頑丈な感じになっています。
このビンは、材料をケチって薄すぎたのでしょう。ガラスがまだ貴重だったころは、強度は確保しながらも、できるだけ少ないガラスでつくりたかったのです。

ところがラムネビンのように、圧力がかかるので、厚くつくらなくてはならないビンがありました。また、ガラスが普及するにつれて、中身を多く見せるため、わざと厚いガラスビンを使うということも出てきました。



その代表的なのがウニのビンです。今でもウニや柚子胡椒は分厚いビンに入っていて、見た目より中身はずっと少ないものですが、買った人はそのことで文句を言ったりしません。



昔の水飴のビンも分厚くつくられていましたが、今では水飴はプラスティックのビンやカップに入れられて売られています。
砂糖が日本に伝来する前、水飴は貴重な甘味源として珍重されました。古くは玄米からつくられ、やがて麦芽からつくられていて、麦芽糖と呼ばれました。私も割り箸に巻き取って嘗めた経験がありますが、砂糖がありふれた現代では、一般家庭での水飴の需要は減り、厚いビンで中身を多く見せる必要が、まったくなくなったのでしょう。


そして、すっかり消えてしまったものに、塩ビンがあります。
このビンには、「百五十瓦(グラム)入」と内容量表示のエンボスがあります。


インスタグラムに載っていたこのビンには、「五號三十匁(112.5グラム)入」というエンボスがあるので、もう少し古いものです。
日本でメートル法が採用されたのは1900年(明治33年)、尺貫法が廃止されたのは1921年ですが、メートル法の本格的普及は、戦後の1951年、尺貫法の使用が法律で禁止されてからです。
ただ、塩は国の専売品だったので、1900年頃からグラム表記がされたと思われます。


塩ビンの口と蓋にはストッパーの突起がついていて、具合よく閉まります。



金属の蓋ではすぐに錆びてしまうのでガラスの蓋にしたのだと思われますが、甕に入れるよりは蓋が閉まりやすく、運ぶのに重宝したことでしょう。
しかし、貧乏人がビン入りの塩を買ったとは考えにくい。ハイカラな人が塩の保存容器としてビン入りの塩を買い、後は量り売りで買っていたのでしょうか?
日本は、塩は自給率が低く、輸入に頼っていたそうです。そして、第二次世界停戦の勃発で輸入が止まると、専売品であるにもかかわらず、自家生産を許したそうですが、宮城県以北では、気候上、塩をつくることができなかったそうです。
塩に関しては、いろいろ知らないことばかりです。





 

4 件のコメント:

  1. 「♪タバコ屋の看板娘♪」ガラス容器が物入れの全てしたね、
    取り出し口は下に。
    水飴やウニの容器は今でも懐かしい姿で
    少なくなると取り出すのが大変。笑い

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  2. 昭ちゃん
    確かに、少なくなっても意地でも全部食べようとするから、口の小さいビンは大変です(笑)。それに厚いビンの中身の少ないこと!水飴は割り箸でくるくる巻いて、口の中でゆっくり食べようと思っていても、あっという間になくなってしまいました。

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  3.  「塞の神」と正確な字でお祭りしてある処は私の家から自転車で1時間ほどの旧道で
    サバ大師もありますが道路拡張で処分しました。
     八幡にもありますが「幸の神」と字を換えて、  意味が通じないです。

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  4. 昭ちゃん
    そうか、塞ノ神は西の方にもあったのですね。
    日本の文化は、京都を中心に同心円状に広がったものが多いと習いましたが、点在しているのですね。各地で呼称も違っているみたいですし。

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