アンコールワットの壁にもアプサラのレリーフがいくつもあり、プノンペンの民家の壁にも色彩を施したレリーフがつくられていたりと、アプサラはカンボジアの人々にはとても親しいものです。
タイの国境近くにあったカオイダンカンボジア難民キャンプ(1979-1993年)では、開設された初期のころ、アプサラをつくって、竹でできた仮設小屋の軒先に並べて、第三国に定住が決まった同胞や、訪れる国連関係者とNGO関係者目当てに、売っていた人もいました。ナイフ1本で、やすりや砥石も満足にない中、よく彫って磨き上げるものと、感心する以外ありませんでした。
さて、我が家のアプサラは、どういう経緯で我が家に来たものだったのか不明です。
八郷に移ってきて、母屋ができて、地下室やビニールハウスの仮倉庫の中に積み上げていた段ボールの箱を開けてみたら、その中にアプサラがいました。
以後、ずっと仮設ゲストハウスに飾っていますが、私はもらった記憶がないので、夫がもらったものなのでしょう。もっとも、そういうことはすぐ忘れてしまうので、訊いても埒はあきませんが。
設備の整った工房でつくられたというより、ナイフ1本で彫られたものに見えるので、もしかしたら、カンボジア国内ではなくて、難民キャンプでつくられたものかもしれません。
ニスを塗った、つやつやしたアプサラや、手の込んだアプサラもありますが、私はこんな、素朴なものの方が好きです。
朝から最高の写真
返信削除モーラムでもなんでも打ちこめば見られる時代ですね。
おはようございます。
返信削除クメール王朝時代のカンボジアについて書かれた「真臘風土記」をちょうど読み終えたばかりです。
当時のアンコール・トムではまさにこんな姿で踊っていたんでしょうね。
昭ちゃん
返信削除ラオスの伝統芸能は、牧歌的な良さがありますが、クメールダンスの方がちょっとだけ洗練されているでしょうか?身体をしなやかに鍛えないと舞えません。
モーラムの職業的演者は別としても、ラオスでは誰でもラオダンスが踊れたり、モーラムもどきの漫才ができますが、クメールダンスはひたすら修行を積まなくてはできません。
もっとも、芸術学校にはたくさんの子どもたちが通って、習ってはいますが。
かねぽんさん
返信削除うぉぉぉ、『真臘風土記』を読まれたのですか!名前は知っていますが、読んだことがありません。
コロナが開けたらぜひあの辺りに行ってみてください。アンコールワットの日の出(日本人ツアーにはつきもの)だけでなく、時間を取って回ってみると、昔の人たちの声が聞こえてきます。
石の建造物群もすごいのですが、とくにすごいのがバライ(池)です。ほぼ高低差のない場所ですごく上手に灌漑して、たくさんの人たちを養っていました。コンピュータもないのによく作れたと、驚いてしまいます。あの辺りでは、とってもおいしいお米が採れます。
昭和初期は営業用の自転車と通勤用と補助輪つきの子供用三種類が、
返信削除バイクはまだ少ない時代です。アメリカ製
昭ちゃん
返信削除リヤカーの押し屋さんのいた時代のことですね。
業務用の自転車って、とっても荷台が大きくてしっかりしていましたね。それが原付になってずいぶん便利になりました。子ども用の自転車を買ってもらえたのはお金持ちの家だけで、ほかの子どもたちは大人用の自転車に、足が届かないのでサドルにも腰掛けず、器用に漕いでいました。