骨董市で、まことさんの店に、リヤカーを引いた人がやってきました。
「えっ、リヤカーを買ったんですか?」
「そうだよ」
その人は同業者さんなのかもしれません。普通の人は、いまどきリヤカーを買ったりしません。
かつて、東京あたりの骨董市では、ドラマの小道具として、まさかと思うようなものが色々売れたけれど、最近では時代を感じる小道具を使ったドラマはつくられなくなり、売れなくなったそうです。
これは、実用にするのでしょうか?
上の写真の左の方、2人で茶箪笥を持ち上げようとしていますが、それをリヤカーに乗せます。そして、リヤカーのすぐ後ろに見える錆びた鉄の脚立、ちょっと遠くではっきりと聞こえなかったけれど、まことさんが、
「それはただで持って行っていいよ」
と言っていたような。
すでに一度買ったものを運んで第二ラウンドの様子、最初は何を運んだのかなぁ、他人の荷物なのに、知りたくなってしまいます。
箱の中は焼きものだと言っていました。やっぱり骨董屋さんなのでしょう。
確かにリヤカーは便利、たくさんの荷物を軽々と運んで行きました。
昔の農家には、リヤカーが一家に一台はありました。しかし、リヤカーにも限界があって、狭い山道などでは使えないし、急な坂道も荷物が寄ってしまうので難しいものがありました。
その点、私が小さいころ育った倉敷あたりの松の木でつくった猫車の方が、より使い道がありました。荷物はリヤカーに遜色ないほど乗せられるし、狭い道にも入って行けるし、持ち手の上げ下げで水平が取れるし、置いておくときもリヤカーほど場所を取りませんでした。
重いものをたくさん乗せるときは、持ち手の両先端に紐をかけ、それを肩に袈裟懸けにしていました。坂道を下るときは、その紐で自分の体重を使ってブレーキをかけながら、下るという感じでした。
リヤカー、懐かしい・・・
返信削除どこで見ていたかというと、父方の実家が戦前八百屋をしていたらしですが、戦後、千葉で農家をしていたので、その農家にあって、よく乗って遊んでいた気がします。
ネコ車、、、春さんがご紹介されている木製のネコ車、味がありますね~。
こういう道具も、小屋にあった気もしますが、ほぼ忘れてしまいました。
小屋の隣に、養鶏小屋があったのですが、当時は、鶏がいつもギャーギャー甲高く鳴いていたので、
いつ飛び出してきて、クチバシでつつかれるのではないかという恐怖心がいつもあり、小屋に行けませんでした。けど、その養鶏小屋の先に、スイカ畑があったので、スイカを取りに行くときは勇気を出さねばなりませんでした。
こういうことって、思い出せるんですね(笑)
覚えなくちゃいけないことは、すぐに、綺麗サッパリ忘れられるのに・・・
akemifさん
返信削除記憶の層って面白いですね。今日ラジオを聴いていると、埼玉県に住んでいた80代の方がお話されていて、飛行場の近くに住んでいたので戦後、壊れて打ち捨てられていたゼロ戦のガラス窓を割って、こするとリンゴの匂いがしたと言っていたのですが、とたんに思い出しました!(笑)。
たぶん、子どものころから一度も思い出したことのなかった記憶ですが、その匂いがすっとわかりました。拾ったガラスの破片を、石などでこすって嗅ぐと、甘い香りがしていました。その方とは遠く離れていたのに、子どもたちはみんなそうやって遊んでいたのでしょうか?
リヤカーは、骨董市で荷物を乗せるとき、だれも持ち手を押さえてなかったので押さえてあげました。その感触は、何十年ぶりだったのでしょう?
昔、リヤカーを東南アジアなどの村に送るといいという話もありましたが、有効に使えるのはサバンナのようなところでしょうね。道が細かったりすると、意外と使えないものです。
記憶って本当に不思議です。
返信削除ガラスをこするとリンゴの匂い???というのは、どういうことでしょう!!!
akemifさん
返信削除よくわからないでしょう?(笑)
そのエピソードを聴いたパーソナリティーさんも、プラスティックをこすると危ないとか何とか、頓珍漢なコメントをしていました。
今でもビーチグラスなどをこすってみると匂うかどうか、特別なガラスだけ匂ったのか、大人ですからやってみる気はありませんが(笑)、匂いは鮮明に覚えています。