外す手間を省いて、招き猫の絵馬などがくっついたままですが、フィリピンの北ルソン地方で、トウガラシなど収穫物を干すときに使う、平たい籠です。
北ルソンは、平地の少ない山がちの地域ですが、散在する村には、たいてい一人以上はラタンの籠を編むのが得意な人がいて、農閑期にほかの人から頼まれて必要な籠を編んでいます。簡単な籠なら、誰でも編めるのかもしれません。
縁は、竹か太いラタンをあてがっているのか、隠れているので見えませんが、きれいに縁巻きしてあります。
箕は、何か理由があるのだと思いますが、一部だけが直線に近い形をしています。
箕の縁の始末は、竹を外側と内側からあてがって、ラタンで留めてあります。
北ルソンの農家は、囲炉裏ほどの大きさの木の箱を室内に置いて灰を詰め、台所の炉にしています。
煙は虫よけになるので、炉の上には、籠などを置いておく棚がしつらえてあります。そのため、籠はたいていいぶされて黒ずんでいます。
炉のおき(燃えカス)は灰に埋めて置いて、またすぐ火をおこせるようにしているので、いつも灰は暖かい。
北ルソンの農家の猫たちは、炉の灰の上で寝たり、時には潜り込んだりして暮らしています。熱帯とはいえ、涼しい季節もあるし、標高が高いので、夜は冷えるのです。
そのため、どこの猫も灰色で、元はどんな色の猫だったか、わからなくなっています。ネズミ除けのために、どの家でも猫を飼っていますが、猫たちはどうやってその知恵を共有したのか、どの家の猫も一匹残らず竈猫です。
台所で煮炊きをするときは、竈猫たちは、いやいや炉から離れます。
おはようございます
返信削除なるほど、「結構毛だらけ猫灰だらけ」という地口があるのは、日本でも昔は竈猫が普通に見られたからなんでしょうね。
かねぽんさん
返信削除宮沢賢治の『猫の事務所』にも、いじめられる竈猫が出てきます。日本でも冬に竈に入る竈猫は風物詩だったようです。
ところで、どうしてそのあたり一帯の猫が同じ行動をとるのか、そこが不思議です。カンボジアにいたとき、農家で寄って来た猫の喉をなでたら、全然嬉しがりません。目のあたりとかは喜びます。というわけで、猫を見つけるたびに喉をなでてみたのですが(笑)、喜んだ猫は1匹もいませんでした。どうして?
日本の猫はどんな猫でも喉の下をなでると喜んで、喜ばない猫をまだ見たことがありません。
猫が地域によって共通の文化を共有していることが、何とも理解できません。しかも、常日頃、お互いにお互いの行動を見ているわけではありません。