『雪に生きる』(猪谷六合雄(いがやくにお)著、カノア、2021年)は、昭和18年(1943年)に出版された名著を、新装復刊したものです。
初版本が刊行されて以後、『雪に生きる』は、これまでに新潮文庫(1955年)や岩波少年文庫(1980年)など7社が文庫化や復刊を繰り返してきましたが、この『新版 雪に生きる』は、『定本 雪に生きる』(1971年)を再編集し新装復刊したものです。
1890年に、赤城山の猪谷旅館の長男として生まれた猪谷六合雄さんは、何でもやってみる、何でもつくってみるという好奇心と情熱のかたまりのような人で、10代のころから、スケート、水彩画や油絵、小さな小屋を組み立てたり、飛行機の模型をつくったり、丸木舟を彫ったりする、多才な少年でした。
23歳の冬、雪の上に見慣れない2本のシュプールを見つけたことでスキーと出逢い、スキー板と金具を自分でつくって毎日山に出かけ、独学でスキーの技術を習得していきました。
ゲレンデづくり。岩を割っている |
その後、雪を求めて国後島、赤城山、乗鞍へと移り住み、その先々でジャンプ台、ゲレンデなどをつくり出し、世界に通用するスキーの練習法と指導法を確立しました。
薪ストーブ |
また、行く先々で創意工夫の詰まった小屋を建て、薪ストーブなど生活用具をつくり、毛糸編み靴下の開発もしました。
文筆活動も精力的に行い、写真も玄人裸足だったということで、これらの写真のほとんどは彼自身が撮ったものです。
六合雄さんは71歳のとき自動車の運転免許を取得し、自分で改装したキャンピングカーの車内で生活しながら全国を旅して、生涯を遊牧の民として生きた人でした。
1本橋を渡る練習をする千春(1943年) |
六合雄さんは、日本スキー界の草分けですが、夫人は日本初の女性ジャンパー猪谷定子さん。長男の千春さんは2歳のころからスキーを教えられ、日本初の冬季オリンピックメダリストとなりました。
さて、以下は猪谷六合雄さんが各地に自力建設した小屋の平面図と写真です。
千島の滝の下に建てた、千島で2棟目の二階建ての小屋(1934~)。
赤城山に戻って、大沼湖西岸に建てた清水の小屋(1935~)。
乗鞍に建てた番所の小屋(1939~)。
1929年の、千島での最初の小屋建設以来、立て続けに何棟もの小屋を建てていますが、当時は、今とは比べものにならないほど近代的な工具はなかったし、もし電動工具があったとしても、電気のないところでは使えなかったし、何より辺鄙なところや山の上に建築材料を運びあげるのは大変なことだったと思われますが、それを苦も無く繰り返し、しかもその小屋の中が居心地よさそうなのには、唸るばかりです。
使い勝手の良さそうなお勝手。
ストーブと掘りごたつで温かい茶の間。
家を建てたり家具をつくったりするための道具が揃っている工具室。
スキー靴で生活できるよう、テラスと床の空間が一体化しているし、お手洗いも腰かけになっている、窓は雪で凍らないよう上げ下げ窓にしてあったなど、時代を先取りした生活にも驚かされます。
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