2022年10月23日日曜日

『小さきものの近代』

はなちゃんの中学入学を契機に引っ越ししてきた次男一家、現在は作業棟の2階で寝る暮らしていますが、作業棟は住むようにはできていません。屋根には断熱材を入れていますが、大きなガラスの吊り戸の下の隙間などからは、容赦なく寒気が入ってきます。
そこで、何としても本格的な冬が来る前に家を完成させたいと工事に精を出している毎日、夜は疲れ切って本を読む間もなく寝てしまうので、読書はなかなか進みません。


というわけで、だいぶ前に読み始めた『小さきものの近代1』(渡辺京二、弦書房、2022年)は、1日にほんの数ページしか読み進めません。
『小さきものの近代』は、江戸から明治にかけての時代(弱肉強食の「世界」に否応なしに引きずり出された時代)に、人は何をし、何を感じ、どう生きたかをたくさんの文献から拾い集めてその声をつなぎ、それぞれの人生に再び息を吹き込むことで、当時の社会全体を浮かび上がらせている本です。
江戸から明治へは無血革命と言われているけれど、実際はどうだったのか。藩民から国民への意識の変更はどう行われたのか、農民はどう生きたか、武士はどう生きたか。外国人との交流はどうだったのかなどなどが、目に浮かぶように描かれています。

維新以後、近代国民国家が形成されたことになっていますが、渡辺さんは、ペリー来航以来100年の血なまぐささは、途方もないものだったと言います。
端的な話、初代内閣総理大臣の伊藤博文は、一部の学者から知性と開明性の聖者のように持ち上げられていますが、江戸御殿山の英国大使館を高杉、久坂らと焼き打ちしたり、塙保己一の息子で国学者であった次郎が幕府の依頼で廃帝の事例を調べているという噂を妄信して惨殺したなど、放火犯であり殺人犯でした。
その伊藤博文も、暗殺されています。


10年ほど前に読んだ、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)は、日本に在留した外国人の目から見た江戸から明治にかけての日本が描かれている、600ページに及ぶ力作で、今とは違う、消えてしまった日本文化を知ることに、わくわくしたものでしたが、『小さきものの近代』は、もっと重く、すらすらとは読めません。

渡辺京二さんは、1930年生まれの92歳、いつ死んでもおかしくないと言いながら、精力的に執筆なさっています。
為政者側から見た近代史を、別の視点から見ることも大切と教えてくれるご著書の数々、
『小さきものの近代』を読み終えたら、『江戸という幻想』(2004年)、『バテレンの世紀』(2017年)『黒船前夜』(2019年)なども読んでみたいと思っています。


 

2 件のコメント:

  1. しばらく前の新聞に、戦後?最も読み続けられた本の1冊として「逝きし世の面影」が挙げられていましたが、「小さきももの近代」は知りませんでした。

    私達が教えられる歴史は、大局的であったり、様々な人の意図や偏見で眉唾ものであったりですが、庶民の小さな経験の積み重ねにより歴史の真実が見えて来るのでしょうか。

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  2. reiさん
    イザベラバードの旅日記も、モースの本も面白いのですが、いろいろな外国人の見た日本を集めた『逝きし世の面影』は、興味深い本です。
    キリスト教の宣教師を中心にお風呂屋さんの混浴を野蛮なものとみる話、混浴を恥ずかしいものとして眺める自分たちの方がおかしいのではないかと考える外国人、お正月には空が凧だらけになる話などなど、知らなかった庶民の生活が伝わってくる本でした。
    『小さきものの近代』は、維新とは何だったのか、近代とは何だったかなどに焦点が当たっているようです。
    諸外国との交渉を担って、不平等条約を結ばせなかったのは、それまで政治の中枢にいた徳川幕府の面々だったという話が、先の大河ドラマ「青天を衝け」と併せ考えて、興味深いものでした。

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