2022年12月19日月曜日

附木

 昨日は、M+MのMちゃんと骨董市に出かけました。


朝の筑波山は、絵のようでした。


まこと屋さんの店先が、すごいことになっていました。
火や明かりの道具コレクターのコレクションを買い取ったようです。灯明皿の量と種類が圧巻でした。灯明皿とは、真ん中や縁に灯芯を立ち上がらせ、皿に油を入れて、じりじりと燃やして明かりにしたものです。
1980年代に、まだ電気の来てなかったタイの田舎の家に泊めていただいたとき、オイルランプを実際に使ったことがありますが、日本で使ったことはありません。
私の小さいころは、すでに各戸には電気がきていて、電灯のないお風呂場では、ガラスのほやのある石油ランプを使ってましたが、ほどなくここにも電灯が灯りました。


燈明皿の足元には、木と紙でできた鞴(ふいご)と、何か経木のようなものが置いてありました。
「あっ、これはもしかしてつけ木?」


江戸時代を描いた小説を読むと、よく出てくるつけ木売りですが、なんとなく小枝や細く裂いた木を売っているのを想像していました。
というのも、私が小さいころ、薪を焚いていたお風呂に火をつけるにはいわゆる柴、山に生える下草を刈ってきたものを使い、マッチで火をつけました。だからつけ木とはそんなものだと勝手に思っていたのですが、実際はこんなに薄い木だったのです。
絵を見ると、つけ木売りは、荷が軽くて他の物売りに比べると運ぶのが楽すぎます。利も薄そうだし、もしかしたら、軟弱者が商っていたのかもしれません。


描かれたつけ木売りが、必ず傘を持って歩いているのは、つけ木が濡れてしまうと火がつかなかったからでしょうか。


この先つけ木に出逢うことはまずなさそう、
「つけ木はまとめてしか売らないのでしょうね?」
と、訊いてみました。
「あぁ。でも、少しずつならいいよ」
「やったぁ!」
ということで、1つずつ3種類いただいてきました。

昔の暮らし道具事典』(小林克監修、岩崎書店、2004年)に、つけ木の使い方が載っていました。


私の想像していた火の起こし方と違って、火打ち箱の上で火をつくって、それをつけ木を使ってかまどや七輪、いろりや仏壇のお灯明などに移したようです。


『昔の暮らし道具事典』には火打ち箱の写真も載っていて、中にはほくち、火打ち石、火打ち金などと一緒に、つけ木も入っていました。見たことがあったのに、つけ木がこんなものだとは、見落としていました。


つけ木は、杉やヒノキなどの薄い木片の一端に硫黄を塗りつけたもので、歴史は古く、『言継卿記』の天文2年(1533年)12月29日に書かれたものに、
「つけ木六束如例年」
の記載があります。
火を他に移すとき、最初のころは木屑や竹屑が使われましたが、近世になってヒノキ、松、杉など柾目の薄片の一端または両端に硫黄を塗ったものが使われるようになり、江戸や大阪などで盛んにつくられ、つけ木屋やつけ木売りによって売られました。
つけ木は「いおうぎ(硫黄木?)」とも呼ばれ、「祝う」に通じるところから、魔除け、贈りものの返礼、引っ越しのあいさつなどに使われました。

それで、積年の疑問が氷解しました。
子どものころ、赤飯を蒸かしたときなど、数軒の家に配りに行かされました。無事に手渡し、返された空の重箱を持って帰りましたが、重箱には必ず数本のマッチが入っていました。
「お返しは、なぜマッチなのか?」
とは、子ども心に思っていたのですが、祖母に訊ねたら知っていたかどうか、訊ねたこともありませんでした。
それは、大正時代になってマッチが普及し、つけ木が使われなくなってからも残っていた風習、「いおうぎ」の名残りだったのです。
また、つけ木は手軽なのでメモ用紙としても使われたそうです。


「それ、買ってどうするの?」
とMちゃん。どうするつもりもないので言葉に詰まっていると、まことさんが、
「史料的なものだよね」
と助け船を出してくれました。そうそう、史料として欲しいのです。といっても、私はつけ木を勉強しているわけでもなんでもないので、史料として手元に置く必然性はまったくなくて、ただ好きなだけですが。
そして、史料的な意味でつけ木を求めるなら、灯明皿も一つくらいは買った方がよかったかもしれません。

さて、そのMちゃんは水屋さん(うっちゃん)で、スゲで編んだ、素適な座布団を買いました。


水屋さんが包む前に座布団を写そうと思ったのに、全然写っていません。
代わりに、一緒に出てきたという、竹の皮でつくった雪駄が写っています。


どちらもお茶道具です。



座布団は、私の持っているスゲの釜敷き(上の写真)と、まったく同じ方法で編まれていました。
釜敷きの直径は18センチくらいですが、座布団の直径は30センチくらいか、椅子に置いて使えるもので、未使用5枚組みで、3,500円でした。
Mちゃんも私も黙っていましたが、心の中では、
「やったぁ!」
と叫びたい、素適なお値段でした。

昨日は、今年納めの骨董市でした。





2 件のコメント:

  1. 附木は初めて知りました。硫黄が付けてあるんですね。天秤に傘と附木が乗せてあるのも面白いです。
    マッチの謎が解けたのも、骨董市の附木のお陰ですね!誰か最初に「附木の代わりにマッチでいいか~」って重箱に入れた人がいるってことですよね(笑)。
    スゲの鍋敷きの値段から考えたら、座布団5枚で3,500円は破格でしたね。大阪の深江に菅細工保存会があるそうで、菅細工の工程に「菅を硫黄で蒸す」と書いてあったのですが、硫黄に漂白作用があるとは知りませんでした。一日に2度も硫黄が出て来くるなんて奇遇。干瓢も硫黄で漂白するそうで、昔からの知恵なんですね。

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  2. hiyocoさん
    附木は、ネット社会なのだからさっさと検索してみればよかったのだけど、なんとなく二宮金次郎さんのように柴を背負って売り歩いている姿を、自分の中につくり上げていました(笑)。
    市井ものの時代小説は好きなのですが、他にもいろいろ勘違いしているかもしれません。

    ひゃっほー! 
    座布団はなんとなく割安だとは思ったけれど、小さな釜敷きの値段を見てびっくり、Mちゃんはよい買い物をしました!!!
    そして、スゲが硫黄で漂泊してあるのも知りませんでした。干し柿もだって!
    そもそも簡単に硫黄というけれど、昔はどうやって硫黄を手に入れていたのか、マッチとして身近にあったのに、全然関心も寄せて来ませんでした。今でもよくわかってないけれど(笑)。
    私たち、何も知らずに二人で硫黄に関係のある買いものをしていたのですね(^^♪

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