本棚の埃を払っていて、『獨逸の民藝』に、久しぶりに見入ってしまいました。
建築が面白い。
ところが写真を眺めるのは楽しいけれど、文は難解でわからない漢字も多く、残念ながら斜め読みしかしていません。
低獨様式、高獨様式、それぞれに特徴がありましたが、時代とともに人々の移動が容易になり、大工や商人の移動によって、様式が入り混じっていったそうです。
さて、低ザクセン(低獨)の農家です。
豪農の家なのか、女中も一緒に暮らし、農作業をする奉公人もいたようで、奉公人も一緒に暮らしていたのか、あるいは別に暮らしていたのか、奉公人(農奴?)がどんな家に暮らしていたかは、記述がありません。
ザクセン式は古くから発達した建築様式で、平屋で、室内には全体に板の天井を張ってあって、天井の上はすべて収穫物の貯蔵庫として使用されていました。
収穫物は、床の真ん中まで引き入れた取り入れ車からフォークで屋根裏に放り上げられ、その収穫物を脱穀するとか飼料用に使うときは、天井裏から脱穀場を兼ねている床(土間)へと放り投げられました。
一家の主婦はフレット(Flett)と呼ばれる袖廊に座って料理しながら糸でも紡いでいれば、家畜の様子、作業の様子すべてが見渡せ、聞き渡すことができました。
これが、低ザクセンの農家のフレットの写真、左右に袖廊が走り、奥が居間や部屋になっています。
シュヴァルツヴァルト(高獨に位置する)の農家も、構造は同じくザクセン式で、二列の柱に桁を乗せ、横向きに太い梁を乗せた構造です。
典型的な(伝統的な)高獨の農家は、佳家、厩舎、納屋、物置きなど別個の建物からなるか、別個なものを一つ屋根の下に収めた、枠組架構壁面木造建築(Fachwerkbau)です。
単純なつくりですが、まっすぐな、あるいは湾曲した木材が、十字に、格子に、円形に組み合わさって、二つとない形を見せています。
枠組架構壁面木造建築は隣接して建てやすく、やがて街道をつくったり、集合して町へと発展していきました。
やはり高獨の、シュレジエンの丸太づくりのニポートシャウの教会です。
丸太づくりは、種類で言えば古い東欧式建築に属するもので、プロイセンの高地やダンツィヒのヴェルデルで農民の住宅文化として、独立して発達したと書かれていますが、いわゆるログハウスのことでしょうか?
現存していれば行ってみたい教会ですが、第二次大戦で失われたものと思われます。
どれも大きな家ですね!
返信削除煮炊きする空間に馬や牛もいるって、家畜にとって暖かいし、飼い主はお世話には便利だけど、ニオイはどうなのかしらと思っていましたが、新しい家にはフレットと家畜エリアに仕切りができたってことは、やっぱり臭かったんでしょうかね(笑)。
アディーにおやつで牛の蹄をあげたら、家の中に牧場臭が広がって、即処分したことを思い出しました。
hiyocoさん
返信削除臭いはすごかったでしょうね。でも、小さいころ鶏小屋も牛小屋も身近にあったので、私たぶん臭いは我慢できると思う(自信なないけれど)、我慢できないだろうと思うのはノミやダニです。
その昔タイ人を連れてエチオピアに行ったとき、タイ人たちを農家にホームステイさせたのですが、みんなダニに刺されてまっかっかになりました(笑)。寝られなかっただろうなと思ったけれど、笑ってしまいました。暑くて寝られないほどのタイなんかの方が、ノミもダニも少ない気がします。
また、昔の人は皮膚がもっと硬くて大丈夫だったのかもしれません。看護婦さんがエチオピア人の皮膚は硬くて注射針が入りにくいと言っていましたから(笑)。
いずれにしても、家畜が財産だったころの同居生活、もうできないですね。最近は犬猫を室内で飼うのが当たり前になっていますが、ノミダニ駆除の薬がなかったころ、猫のノミが畳に卵を産みつけて、猫がいなくなってからも孵ってピョンピョンして足を噛まれて大変でした。