2024年1月4日木曜日

アンコール遺跡へ

先日、集中的に(でも一部ですが)フィルムを使った写真を見ていると、カンボジアで働いていたころ、同僚たちと2泊3日でアンコール遺跡に遊びに行った時の写真が出てきました。1999年ごろの写真です。


「今年は、アンコール遺跡に行きたい」 
「えっ、無理よ。お金ないし」
私の働いていた、国際協力団体は、NGOですから運営はすべて寄付でまかなっています。数か国に事務所があり、日本人の役割は先頭に立って活動するというよりは、日本で支援各団体を回って成果を報告して支援の継続をお願いしたり、新たな支援を開拓したり、公募している助成金に応募したりと寄付集めに頭を絞っている毎日、みんなで年に一度か2年に一度の事務所内旅行に行くお金は、カンボジアまで訪ねてきた人たちを案内したりした時、
「これは、スタッフのために使ってください」
といただいたお金を蓄えて、それのみでまかなっていました。
前年に、ボコール山を経由して海に遊びに行ったので、使えるお金は300ドルほどしか残っていませんでした。


「どうしても、アンコール遺跡に行きたい」
「無理! 行けるわけがないでしょう! でも近くに遠足なら行けるよ。どう?」
「いや、アンコール遺跡に行きたい」
交渉係のソリが粘って、粘って、なかなか引き下がりません。何度も出直してきます。
「1人20ドル渡してくれたら、滞在費は全部まかなうっていうのはどう? 車は2台出して欲しいけど、やっぱりアンコール遺跡に行きたい!」
「えっ、1人20ドル以下で泊まることもできるというの?」
外国人なら、アンコールワットの入場料だけで20ドルかかります。それに、1泊50ドル以下のホテルなど、あまり聞いたこともありません。
「もちろん、宿泊費も含んでいる。2泊3日で行きたい!」
「無理でしょう! それで食費も全部まかなうの?」
「大丈夫。やれる」
とうとう根負けして行くことになり、総計14人くらいだったか、私とほかの日本人も含めて、みんなに20ドル手渡しました。というか、会計のトラさんから手渡されました。


当日早朝、もちろんスタッフだけが来ると思っていました。それがスタッフだけでなく、息子たちを連れてきた人、母親を連れてきた人、友だちを連れてきた人などなどで、人数は膨れ上がっていて、しかも大荷物の人もいて、大混雑でした。
「はぁ? この人数で、車2台で行くの?」
つい数年前まで道は封鎖されていて、アンコール遺跡周辺は危険で近づくことも禁止されていました。その前はポル・ポト時代、その前はヴェトナム戦争時代で、スタッフもその家族たちも、誰もアンコール遺跡には行ったことがなかったので、一度は行ってみたい人がたくさんいたのです。
10人ほど乗れるバンと、ランドクルーザー2台で悠々座れるはずだったのに、車の中はぎゅうぎゅうで、隣の人とはべったりと密着せざるを得ません。そして道は穴ぼこだらけだったので揺れに揺れ、そのたびに隣の人にぶつかるし、ぶつからないようにと身体に力を入れなくてはならないし、へとへとでした。
道路には、すれ違う車もほとんどいません。ところどころ、大きな穴ぼこがあるところに、スコップを持った人たちが立っていて、車が近づくと穴に土を投げ入れるふりをします。穴があるのでスピードは緩めなくてはならないのですが、運転手のパンさんはいちいち停まって、その人たちにちょっとした心づけを渡します。
「穴ぼこに土を出したり入れたりしてんじゃないの」と、私ははなから疑っていて、無視して通り過ぎればいいのにと思っているのに、優しいパンさんは、ひたすら徳を積みながら進みました。

シュムレアップの町に着いたら、もう暗くなっていました。
まず、手あたり次第に宿を探し回ります。やっと宿を探し当てたようで、それから食事です。場末の安食堂に行って、思い思いに貧しい一皿料理を注文をしました。
スタッフ納得の宿は、男と女に分かれた1部屋ずつで雑魚寝する宿で、みんなで寝返りもできないほど密集して寝て、料金は確か1人600リエル(2ドル弱)ほどでした。


次の日は、アンコールワットやアンコールトムだけでなく、スナイ、スララオ、イヤンなど、まだ知られてなかった多くの遺跡群を、10カ所ほどめぐりました。


石が崩れて散乱しているところも多く、これをどうやって積み上げて修復するのかと、他人事ながら心配をしてしまいました。


みんなは元気いっぱい、遺跡群を堪能しました。


遺跡を見るだけでなく、当時つくられたバライ(農業用、生活用、飲料用に分けて掘った池)などを見ることを忘れず、炒ったタガメが有名なところでは、みんなでぼりぼりとタガメを食べることも忘れませんでした。口の中がふしゃふしゃしました。

それ以前に、日本からの支援者グループが活動を見に来てくれた時、アンコールワットに一緒に行って欲しいと言われて私は同行したことがあり、そのときは早起きして日の出を見に行きました。まわりはほぼ日本人だったように記憶しています。
それとは全然違ったカンボジア人の楽しみ方には、目を見張る思いでした。


超強行軍でしたが、楽しい旅でした。

そうそう、事務所内旅行で、ボコール山に行った時の写真も出てきました。


ボコール山では濃い霧が目まぐるしく動いていて、真っ白な霧が晴れると足元は切り立った崖だったりして、大騒ぎでした。
私たち以外は人影も見えず、幽霊が出るぞなどと言い合って、怖さを盛り上げたものでした。


背筋がぞくっとしたこの建物が今は高級ホテルとは、想像もつきません。






2 件のコメント:

  1. 旅行中は大変だったかもしれませんが、読む分にはとっても楽しそうなアンコールワット旅行記でした(笑)。当日に参加人数が膨れ上がるなんて考えられない!
    日本人は日の出が好きなのかな~。元旦に夫が初日の出の時間に目の前の海に行ったら、凄い人出だったそうです。江の島の花火大会よりもっとすごいらしいです。

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  2. hiyocoさん
    旅行、まじ大変でした。誰も大変とは思っていなかったみたいだけど(笑)。
    そして、日本人は無類の日の出好きなのでしょうね、日の出を見るのは日本人向けのアンコールツアーの目玉です。
    初日の出、このあたりもスポットは大変混雑します。行かないけど(笑)。長男が学生時代に同級生たちと車2台で銚子で初詣しようと真夜中に出発したのに途中で大渋滞で、とうとうたどり着く前に日が昇ってしまったという話をしていました。銚子は関東で一番早く見られる場所と言われていて、混むらしいです。

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