2024年3月16日土曜日

『昭和の日本のすまい』


九州に住む息子が、『昭和の日本のすまい』(西山卯三記念すまい・まちづくり文庫編集、創元社、2007年)を送ってきました。
なぜこの本を送ってきたのか、説明なしなのでわかりません。わかりませんが、消えてしまった風景がたくさん掲載されていて、懐かしく眺めています。

西山卯三は、戦前戦後を通じて、おもに町の庶民住宅の研究をした人で、たくさんの写真を残しました。
目次は、戦前編(昭和10~19年)、戦後の絶対的住宅難編(昭和20~30年)、復興・近代化編(昭和初期5~34年)、高度成長の光と陰編(昭和35~)に分かれています。


奈良市の茅葺き屋根(昭和4年)の町家です。
この形の屋根は、戦後も一部地域には残っていたし、21世紀になっても法隆寺の前には残っていましたが、今もあるでしょうか?


名古屋市呼続の農家型町家です(昭和10年)。


東京本郷(昭和12年)。
リヤカーや大八車が春日通りを普通に通っているのがおもしろい。都電も走っているのでしょう、線路が見えます。


戦前の子どもたち。


戦後住宅難時代の、東京墨田区向島の列車転用住宅(昭和27年)。


大阪市都島のバス転用市営住宅(昭和28年)。
これが市営住宅というところがすごいです。


上のバス転用住宅の内部です。


京都の市電転用住宅、これは21世紀まで残った転用住宅だそうで、西山さんではない方の写真です。


戦後の復興住宅、東京新宿の戸山ハイツです(昭和26年)。
高校生のころ、私が山手線から見ていた風景はこの手前のようなもの、山手線沿線にはあちこちに空き地があり、戸山ハイツは別世界でした。
高田馬場駅のすぐ近くにはかまぼこ兵舎の転用孤児院があって、毎月1回は行っていた西武線萩駅にあった学校の農場の帰りに、高田馬場駅で降り、クラブ活動で孤児院を訪ねる友人たちについて行って、孤児たちと遊んでいました。


今では高層ビルの立ち並ぶ新宿も、高いビルはほとんどなく、一望千里でした(昭和26年)。


北海道夕張炭鉱の炭鉱住宅(昭和25年)。


炭鉱住宅の中。


今は無人になっている軍艦島の住宅(昭和27年)。


新潟県高田市の雁木の町並み(昭和32年)。


岡山県倉敷市下津井(昭和35年)。
高田と言い下津井と言い、大都会ではないところの風景にはホッとします。


大阪府の千里ニュータウン(昭和40年)。
復興から高度成長へと舵を切った日本で、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後から、都市では現在まで建設工事の音が途絶えることなく、日々変貌し続けています。









 

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