今年こそ、旧暦桃の節句までお雛さまを飾っておこうと思ったのに、昨日、思い立って片づけてしまいました。
上は、妹の連れ合いのやすおさんの姉上の木目込み人形、1950年ごろのものです。
お雛さまを飾りつけたとき、夫がその写真をFacebookに載せたら、友人のTさんから、戦後まもなくに生まれたTさんのために、お母上が人形屋さんを駆けずり回って、やっとの思いで手に入れたという内裏雛の写真を、コメント欄に送ってくれていました。
雛人形が見つかりにくかったというその年に発売された新品のお雛さまだったのか、それとも人形屋さんに残っていたものなのか、定かではありません。
終戦間近には雛人形をつくる余裕はまったくなかったと思われますが、戦後の品不足は何年ぐらい続いたのか、1950年前後に従妹が買ってもらった、内裏雛が御殿に入った段飾りを見て、私はその大きさと豪華さに度肝を抜かれたので、戦後5年ほどで雛人形づくりは完全復興していたようでした。
私の持っている古い(と言ってもいつごろのものか?)木目込みのお雛さまは、目玉が描かれていますが、Tさんのお雛さまは目が線です。
やすおさんの姉上のお雛さまも、目玉は描かれています。
いつごろから、目を線だけで表すようになったのでしょう?
江戸木目込み人形から画像をお借りしました |
そういえば、私が知っている木目込み人形は、目を線だけで描いたものがほとんどだった気がします。
その昔、まだ息子たちが小さかったころ、近所のママ友に誘われて真多呂人形の素材を買い、自分で木目込みの内裏雛をつくったことがありましたが、それも素材を選ぶとき、確か目が線のものしかなかったような記憶があります。
ネットで見ると、木目込み人形には目玉が描かれた、あるいは入れ目(すごい表現!)のものもあるようですが、主流は細い線の目のようです。
松竹梅は手描き! |
木目込み人形は、約280年前の元文年間(1736~41年)に京都で発祥したと言われています。 通説によると、当時の上加茂神社の雑掌の高橋忠重という人が、神社の祭礼用の道具を作った余りで木彫りの人形をつくり、それに神社の衣裳の残り裂を木目込んだのがはじまりで、やがてボディーには木彫りではなく型抜きした桐塑を使うようになり、量産できるようになりました。現代は桐塑ではなく樹脂でボディーをつくったものもあるようです。
桐塑の人形は、虫たちの格好の餌食でしたが、かつては虫にやられていた我が家の木目込み雛たちは、今は虫知らずで過ごしています。
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