2024年12月4日水曜日

夫の趣味


夫は、2010年にタイに行ったとき、植木鉢を吊り下げるラタンのホルダーを買ってきました。
それ以来、居間の片隅にホルダーをぶら下げて、安くて花がいっぱいついたポット植えの花を買ってきては吊るしています。受け皿は以前猫の食器として使っていたものです。ところが夫は、水やりを忘れるのでいつも枯らしてしまう、そこで、じょうろに水を入れたまま傍らに置いておくようになりました。


私のじょうろはブリキ製と鉄製の2つ、どちらも水を入れたまま置いておくと内側が錆びだらけになり、茶色い水が出るようになるので、厳重注意するのですが、ほとぼりが冷めたころ、また水を入れたままにしてしまいます。
「やめてね」


今朝はびっくり、目につくところに花を置けば水やりを忘れないと思ったのか、ガラス戸の前にポットを堂々とぶら下げているのを見つけました。いつのまにか、ジュートのホルダーも買ったようです。


わぁ、やめてほしいと見ると、そこいらで買ったありふれた花は、プラスティックのポットのままで、カンボジアの骨董屋で見つけた清時代のお皿に乗せています。サイズがちょうどよくて深さもある手ごろなお皿を探し出して、ポットを置いたのです。道理で、水屋の引き戸が開きっぱなしになっていました。いつも、地震が来てもお皿が割れないよう、必ず戸を閉めてねと言っているのに...。花を飾りたいというほかには何も考えてないのです。


福建省、海南省、広東省などで食い詰めた人たちが、不安な思いでタイにわたるとき大切に持ってきたかもしれない100年も前のお皿。ヴェトナム戦争中にも、ポルポト時代にも失われないで生き残ったお皿に、プラスティックのポットはないでしょう!

ちなみに、気づけば夫の花にも水をやりますが、私はたまにしか水やりしなくてもいい植物しか室内に置いていないので、いつもというわけにはいかないのです。





 

2024年12月2日月曜日

小さなマトリョーシカ


骨董市でまことさんの店のおもちゃ箱の中に、小さなセミョーノフのマトリョーシカがありました。色もそう褪せず、4個組で揃っていました。
値段を訊いたら、
「あげるよ」
だって。
「わっ、ありがとう!」
いただきました。


このマトリョーシカが欲しいと思った決め手はラベルです。私自身は、値札とかラベルをすぐはがす人なのですが、マトリョーシカはラベルが残っていると時代がわかって嬉しいものなのです。
マトリョーシカ ノート3』によると、このラベルは1960年代から80年代まで使われました。マトリョーシカのサイズが小さいのでおそらく1980年代のもの、1985年にはつくば科学博があり、ソヴィエト館にはたくさんのマトリョーシカが並んでいたのを覚えているので、そのときに日本で売られたものかもしれません。


同じラベルのと、似たラベルのマトリョーシカです。
右のマトリョーシカは、「MADE IN USSR]の下にマトリョーシカの絵がついたスタンプが押されていますが、上に貼ったラベルでマトリョーシカが半分しか見えていません。


こんな感じのスタンプです。


ちょっと大きいサイズの左端のマトリョーシカは5個組、小さい2体は4個組です。


5個組は2番目の娘も、それなりにていねいに色づけされています。そして、一番小さい娘を除いて、プラトーク(スカーフ)には、セミョーノフの特徴である渦巻き紋が施されています。


以前、息子がくれたマトリョーシカ。


こちらは、3体のプラトークに渦巻き紋がついています。


新入りのマトリョーシカは、渦巻き紋が、なぜか2番目の娘だけについています。


一番大きい娘に渦巻き紋をつけるのを忘れたのかもしれません。
当時はいろいろ分業だったはず、一組のマトリョーシカも、何人もの手でつくられました。


セミョーノフの最大のマトリョーシカは、高さ100センチ、幅50センチもあり、72個組になっているそうです。
それだけの数がピタッと収まるなんて、もはや神業です。





 

2024年12月1日日曜日

商店街

石岡駅の西口商店街は、車社会になる前は栄えたようですが、今はさびれています。


昔の栄華をしのばせる建物も残っているし、早いうちに表通りの送電線を地下に埋めるなどの対策は取ったようですが、それぞれの店にプライドがあり、地域全体の構想というものはなさそうで、魅力ある商店街にはなっていません。


石岡はかつて、近隣の産物の絹や葉タバコの集積地として栄えました。このような昔栄えたけれど、今は特別な役割がなくなった商店街は、どう生き残れるのでしょう?


一時、木造家屋の正面(ファサード)だけを装飾した建物が、看板建築と名づけられてもてはやされましたが、中身と一体になって初めて魅力を発揮するもの、外見だけでは人を呼ぶことはできません。


まっすぐな通りは車が通り抜けるだけ、人影はほとんどありません。


商店街が再生するのは、観光客相手にテーマパーク化するのではなく、地元に愛される商店を取り戻すことだと思うのですが、広い駐車場があり、何でもそろうスーパーマーケット(1枚目の写真の右奥にもある)には太刀打ちできず、なかなか難しいことでしょう。