『柳宗悦、浅川巧が愛した韓国を歩く』(藤本巧著、工房草土社、2022年)は、写真家藤本巧さんの、おもに1970年の最初の韓国行きで撮られた写真を集めた本です。
藤本巧さんが「民藝」に造詣の深かったお父上の均さんと最初に韓国を訪れたとき、均さんは古い品々を心いくまで見るために仁寺洞(インサドン)に留まり、巧さんは各地を歩き回ります。草屋根が続く村々のあまりの美しさを目にした巧さんの興奮が伝わってきます。
私が最初に韓国に行ったのは1981年、夫の仕事に同行したのですが釜山の都市部だけ、バスで行ける郊外にも行ったけれど、草屋根の家を見ることはありませんでした。
そして、ほぼ全国の農村(島嶼部を除く)を回ったのは1993年、各地で見られる土饅頭の柔らかい優しさには見惚れましたが、藤本さんの韓国紀行から20余年経っていた1990年代に、民俗村以外で草屋根の家を見ることはありませんでした。
この写真集のところどころに籠が写り込んでいて、思った以上に草籠ではなく竹籠が多いことに驚きました。
そんな竹籠にまつわる写真をお借りしてみたいと思います。
慶尚北道(キョンサンプクト)の金泉(キムチョン)の市場で。
籠師さんが作業中です。
全羅南道(チョルラナムド)の竹細工の町潭陽(タミャン)の光景。
全羅北道(チョルラプクト)南原の(ナㇺオン)の市の日。
手前に竹籠が見えて、奥には、稲縄か草縄か、縄にしてから編んだ草籠が見えます。
南原の市の日。
石臼(石鍋?)屋さんに置いてある籠。左は竹籠ですが、右はどんな材料を使ったのでしょう?
南原の石職人の後ろに見えている籠も、竹の籠に見えます。
金泉の村で。
大きな自転車籠は、日本のとつくりがまったく同じです。
『柳宗悦、浅川巧が愛した韓国を歩く』には、村の写真、子どもたちの写真、焼きもの登り窯など興味深い写真がたくさん掲載されていますが、織りものの写真に、私の目は釘づけになりました。
北慶北道(キョンサンプクト)の麻の村、安東(アンドン)の写真です。
座板の高い「地ばた」、座らずに腰掛けてはいるものの、
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カササギの織り機の歴史より |
日本の地ばたとまったく同じ構造です。そして、上の写真では織り手の手前に見えている杼が、大きく写されている写真もありました。
一般的な杼は、小管に巻いた緯糸を細い竹や金属の串状の棒で杼に仕込みますが、これは俵形に巻いた緯糸を杼に入れて、それを竹で押さえています。
「こうやって使ったのか!」
内側が変な風にえぐれているのに小管を収める穴がない韓国の杼の、長年の謎が解けました。筒形の杼も(私にとって)珍しいものでしたが、緯糸を杼に閉じ込めている韓国の杼も不思議な、不思議な杼でした。
さて、写真は1970年の仁寺洞です。
仁寺洞は、19世紀末に困窮した両班たちが先祖伝来の品を売る店を開いたことから骨董屋街となりましたが、1970年の仁寺洞と私の知っている1990年代の仁寺洞とは、ずいぶん印象が違います。
そして現在の仁寺洞。
韓国の骨董や工芸を日本で商っている朴さんの話では、何軒か民俗品や骨董品を扱う店が残っているものの、昔に比べるとだいぶ減ってしまっているそうです。そして、ものが確かな店もありますが、そうでない店もあり、 場所柄(ソウルの中心地)値段が張るので、仁寺洞はもう買う場所ではない、勉強として楽しむ場所になっているということでした。
人の世は、変わったようで変わってはいないのかもしれない。変わらないようで少しずつ変わって行く。そんなことを考えさせてくれる、仁寺洞の昨今でした。
人の世は、変わったようで変わってはいないのかもしれない。変わらないようで少しずつ変わって行く。そんなことを考えさせてくれる、仁寺洞の昨今でした。
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