我が家にある大きな行李は6つ、柳行李が4つ、スズタケの行李が2つ、すべて私の両親が使っていたものです。
父は海軍の軍人だったので、軍艦や駆逐艦に乗る生活をしており、スーツケースも段ボール箱もなかった時代の移動生活に、柳行李は必需品でした。
さて、1966年にガーナに行った私たち夫婦は、木箱をアルミでくるんだ大きな箱を2つ買い、それに衣類や食器、なぜか土人形も詰めて船便で送りました。内部に仕切りもない箱に詰められるだけ詰めて送ったので、土人形がいくつか割れて、がっかりしたものでした。
そのとき、割れた鹿児島県の帖佐人形の山姥です。
今だったら、少しは分別がついているのでこんな薄くてもろい土人形を、港の荷揚げ降ろし人が乱暴に扱うに決まっている、仕切りもない箱に入れて送らないと思いますが、その時は空洞をよいことに、中に小さい人形を詰めて送ってしまいました。
ガーナに送った木箱は、1つは次の移住地アメリカに直接送り、1つは日本に送り返したように記憶しています。そして、出産のために一時日本に帰国していた私は、日本からの荷物を両親から借りた柳行李に詰めてアメリカに送りました。
余談ですが、土人形たちは夫がガーナからアメリカに送った荷物に含まれていて、アメリカにも行きました。
そのとき借りた柳行李は、とても頑丈にできています。
外側には太い糸で目を詰めて織った麻布が貼ってあり、
内側には薄い麻布が貼ってあります。
角は革で補強し、ベルト通しをつけ、底には両側から持ち上げられるように持ち手までついているものです。
柳を編んだ固い箱ににタコ糸で革を縫いつけるのがどんなに大変なことか、職人さんの技に脱帽です。
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