2010年5月31日月曜日
登山口の旅籠
足尾山の上り口の集落には、足の病気平癒を願って足尾山に登山した人々が泊まった、旅籠が何軒かありました。明治に入ると、登山する人は減り、旅籠は廃業しましたが、今も昔の面影を残している家があります。
その一軒、Wさんの家です。看板は昔のまま、残してあります。
Wさんは、家も庭も手入れを怠りません。いつ行っても庭木が見事に手入れされ、古い縁側は拭き込まれ、障子紙は白くて、きれいに張られています。住みやすいように改築した部分もありますが、残している部分もたくさんあります。屋根は昔ながらの、萱葺き屋根です。
萱屋根は、乾燥させておくと長持ちしますが、今日の生活では、かまどや囲炉裏を使わないので、昔より早く傷むようになっていて、15年から20年に一度の割合で、葺き替えしなくてはならないようです。Wさんも、今年に入ってから、屋根の一部を葺き替えました。
左手のお座敷部分の屋根の棟木は、竹でできていますが、右手の旅籠部分の棟木は、木でできていました。旅籠部分の棟木、形は昔のままですが、今回新しく葺き替えたときに、古い木を、トタンで被ったそうです。
棟木の先端の、もっとも目立つところは、節に色を塗った竹で、美しく装飾してあります。
これは、この地域独特の様式です。萱葺き職人さんたちは、ここを美しく見せるために、競って腕を振るったようでした。
屋根の下端にも節に漆喰を塗った竹を挿して装飾しています。昔は、泊まり客が手すりに手ぬぐいを干したりしたのでしょうか。
屋根の下端には、古い萱の層が幾重にもなっているのが見えます。
この十年、八郷の中では、ずいぶん萱葺き屋根の家が取り壊されて、瓦葺きの家に建て替えられました。
Wさんも、子どもにも家に関心を持ってもらいたいし、さりとてよけいな苦労はかけたくないし、複雑な気持ちのようです。
コウヤマキの実
2010年5月29日土曜日
葉っぱ細工の小物入れ
いろいろなところで、手に入れた葉っぱ細工の小物入れです。小銭入れにもなりますが、多くはシガレット入れとしてつくられたものでしょう。
材料はヤシの葉のほかに、藺草のような草もあるのではないかと思います。
材料の葉を染めて、模様にしたものが大半ですが、左下のものは、無地のヤシの葉に細い濃い茶色の植物を乗せて模様にしたものです。
これは、葉をねじって模様にした手の込んだものです。
リボンが細くて柔らかすぎるので、補強のため、身の方は二重にしてあります。ちょっと引っ張り出して写真に写しましたが、同じ大きさできちんと納まっているものです。
底は、別のものをあてたような形につくってあるものもあります。二重になっているように見えますが、一体につくってあります。
中に、形崩れを防ぐため、材料の葉っぱ(これはヤシの葉でしょうか)を詰めたものがありました。こんなにきれいに切りそろえたものを、私なら1センチも無駄にしないでとって置きますのに、鷹揚なものです。
我が家では、一部を印鑑入れやカード入れとして使っています。しかし、指ハブと同じで、単純にひっぱると開け難いものもありまして、大半は単なる場所塞ぎに甘んじています。
2010年5月28日金曜日
葉っぱ細工のおもちゃ
2010年5月27日木曜日
ヤシの葉のドリアン
パルメラヤシの葉でつくった、カンボジアのドリアンです。
下から見ると、とげとげが、16個並んでいるのがわかります。縦に芯にする葉のリボンを8本も重ねて、それにくるくるととげをつくりながら、編み上げたもののようです。
お尻の部分を、ヤシの葉でつくった籠についている花飾りと同じ編み方で被ってあるので、どうなっているのかわかりにくいのですが、
タイのドリアンのお尻を見ると、どうやって編んであるかわかります。こちらの方は、芯にしているリボンは、半分の4本だけですが。
カンボジアのドリアンは力作ですが、タイのドリアンも、おしゃれです。こちらは、パルメラヤシではなくて、ココヤシの葉でしょうか。
2010年5月26日水曜日
米の計量枡
一斗(18リットル)の計量枡です。これにすりきり一杯が一斗ですが、縁が欠けたり、磨り減ったりして正しく計量できなくならないよう、鉄できちっと補強してあります。
とてもよく似た形をしていますが、これはタイの、一タン(20リットル)の計量枡です。一斗枡より少し直径が大きく、米を入れたときにすりきりやすいように、真ん中に持ち手を兼ねた棒が一本、渡してあります。
ずいぶん使い込んだものでしょうか。持ち手の棒がすっかり丸くなっています。
計量枡は公正であるために、どれも、寸分違わないものでなくてはなりません。その考え方を根底から覆すのが、カンボジアの計量籠です。
計量枡が、籠でできています。似たような大きさとはいえ、籠を編んでつくれば、決して同じ容量は求められません。最初は、「なんてことだろう」と思いましたが、話を聞いてみると、不都合はまったくないようなのです。
村で、あるいは近くの人々の間で、あらかじめ計量に使う籠を一つ、特定して置けばよいのです。遠くの人と日常的に取引するわけではありませんので、枡一杯借りたら、枡一杯(あるいはもうちょっと)返す、それが何リットルであろうと、かまわないわけです。
木の桶は、材料も、つくる技術も道具も必要なので、どの村でもつくれるというわけにはいきません。しかし、籠であれば、どこの村でも、誰かしら編める人がいます。しかも、材料は簡単に手に入り、できたものは軽くて使いやすいのです。そして、壊れても、気軽に新調することもできます。
日本では、一斗枡はとっくの昔に廃れました。今では、誰も使っていません。一升枡でさえ、使っている人は稀です。タイでも、村で一タン枡は見たことがありません。たぶん、町の米穀商などが使っていたものなのでしょう。
ところが、カンボジアの村に行くと、今でもみんなこの籠を使っています。村の定めた計量枡もありますが、各家庭にも、似た籠が一つや二つ、三つや四つあります。
かくいう私も二つ持っています。編み目が細かく、目詰まりしないので、籾摺りや精米のときに、とても便利なのです。
隣人が私の籠を見て、同じ目的に使おうと日本の籠を買ってきました。ところが、籠目からお米がもれて、あわてて和紙を張ったことがありました。カンボジアの計量籠は、細い竹でしっかり編んであるのですが、さらに各家庭で、籠に漆に似た樹液を塗って使います。
私の籠は、新しいのを籠屋さんにつくってもらって、村の人に、使い古しと交換してもらったものです。
2010年5月25日火曜日
イギリスのブリキ缶
家をつくるなら、食品庫が欲しいと思っていました。
台所の隣には、夫が納戸として設計した部屋がありましたので、その片面を利用して、あまり奥行きの深くない棚をつくって、食品庫にしました。
家ができるまで住んでいた仮設小屋では、台所のスペースが限られていたので、麺類、買い置きの調味料、お米、お酒、お菓子などなど、あちこちに分散していました。それらを同じ場所にまとめたのですから、使い勝手がよくて、満足しています。
食品庫の収納容器は、ブリキ、ガラス、ホウロウ、それにプラスティックの密封容器など、さまざまです。
中には、いくつかの、イギリスの古いブリキ缶もあります。
緑の缶は、見た目はちょっとでこぼこしていますが、しっかりしています。
その時々によって、いろいろ中身は変わりますが、このところずっと、クラッカー入れとして定着しています。
これは、とても分厚いブリキ缶です。同じようなものをネットで見たことがあるのですが、どうも、19世紀に、イギリスの軍隊で使われていたもののようです。
この缶には、夫が飲んでいるせんじ薬が入っています。
突発性難聴にかかって、お医者さんからは、入院してステロイドの点滴で治そうと言われたのですが断り、漢方のせんじ薬とミミズ の粉薬を飲み、毎日丸い石を踏んで腎臓を刺激する方法を選んで治療中です。
低音と高音は戻ったのですが、中音がまだのようです。
可愛い猫のついた、お菓子の空き缶、これは食品庫ではなく、居間に飾っています。
中には刺し子の糸が入っています。
刺し子の材料は十分、織物をするための麻糸も、羊毛も十分、パッチワーク用の布も十分あります。刺し子糸はたいしたことはありませんが、麻糸や布は、大いに場所塞ぎをしています。でも、使う時間はみつかりそうにありません。
2010年5月24日月曜日
実の生る木々
小 さな苗木で買ったビワの木が育って、今年初めて実をつけました。
今年はまだほん の少ししか生っていませんが、今から楽しみです。
こ ちら、スモモ、毎年少ししか生りません。いっぱい花が咲くのに...。鈴なりに生って、生りすぎて、「もう食べたくない」と言ってみたい。
梅は紅梅です。
親切な植木屋さんが、「もう育ちすぎて売れないから」とくださった果樹の一本ですが、小さいのに、しっかり実をつけます。花も実も楽しんでいます。
昨年は、久し振りに梅酒をつくりました。今年は、なにをつくりましょうか。
ブルーベリーは7種類もあります。6種類は、まとめてお隣からいただいたもので、あと一種類は母からもらいました。母のところでは、熟す前に全部鳥に食べられていたそうですが、いまのところ、我が家のブルーベリーは鳥に気づかれていません。
我が家はどちらかと言えば酸性土なので、ブルーベリーはよく育ちます。これから晩夏まで、次々と実がなります。
イチジクの早生りも大きくなりました。
イチジクは、一昨年から鳥に見つかって、ことごとく食べられていました。全体に網をかけるのもたいへんだしと、残念に思っていましたが、昨年から思いついて、実が柔らかくなりそうになったら、紙の袋を被せることにしました。効果はてきめんで、昨年はたくさん食べることができました。
ホトトギスが鳴いて、春も行こうとしています。
2010年5月21日金曜日
台所道具 まな板編
雑誌で、建築家のN氏が紹介していたのは、シンクのあちら側からこちら側まで届くまな板でした。「あっ。いいかも」と思って、台所ができる前からイチョウの長い板を買って、待っていました。
そして、台所ができるとすぐに、板をシンクの奥行きに合わせて切って、使ってみたのですが、う~ん、使い勝手は、イマイチです。
確かに、港の魚市場で買ってきた、大きな魚をさばくときなどには便利ですが、毎日、そう大量に魚や野菜を切るわけではありません。
決定的な欠点は、板目と直角ではなく、平行に包丁の刃が当たることです。それを避けようと、気がついたら、身体をねじって切ったりしています。身体によくありません。
というわけで、最近は、大きな筍を切るなど、もっぱら大物専用に使っています。
もっともよく使うのは、このチークのまな板です。縁に沿って溝があるところなど、イギリスのまな板を手本につくったものでしょうか。ずいぶん昔に、タイで買いました。
軽くて、片手で楽々持てるのもいいのですが、丸くて薄いので、洗い籠で水切りできるのが最大の魅力です。
こちらが、お手本にされたかもしれない、イギリスのパン切り用まな板、ブレッドボードです。食卓でパンを切るときはこれを使っています。丸いまな板は、木口が黒ずんでくる心配をしないですむので助かります。
タイの一般的なまな板で、タマリンドの木を輪切りにしたものです。安いものだし、タイではどんな家庭でも、お店や屋台でも、このまな板を使っていると言っても過言ではないくらいの普及品です。木口を上にして使う、中国のまな板が、薄くなったものでしょうか。
バンコクで暮らしていたとき1枚、帰国してから10年ほど1枚、プノンペンで暮らしていたとき1枚、使いました。けっこう長いつき合いですが、この一枚は、これまで使ってきた3枚に比べて、ちょっと直径が大きく、毎日使うには重過ぎます。年取ってきたせいもあり、めんどくささが先にたって、使わないでいます。
右は、普通のまな板を、自分で切って小さくしたまな板です。長く使ったので、捨ててもいいのですが、年に数回、まな板がたくさん必要になったりするので、思い切って捨てられません。
左は、フランスパン用のまな板です。いざ、フランスパンを切るときは、ついつい、そこいらのまな板で間に合わせてしまったりするのですが。
この、魚の形をしたカッティングボードは、もっぱら、キャセロールの敷物です。私の持っているキャセロールはオーバル形が多いので、熱いお皿の敷物として、とても重宝しています。
そして、とっておきの一枚はこれ、松本和男さんの作品です。「傷ついたら、いつでも削りなおしてあげる」と言われているのに、もったいなくて使えません。一枚の木を彫り出してもち手がつくってあります。
まな板としてはまだ使っていませんが、目の保養として、時にはトレイ代わりに、大いに役立ってくれています。
そろそろ、まな板として使ってみましょうか。
2010年5月19日水曜日
うさぎの耳の留め金
toki-sappさんのブログで、エッ グコッドラーというものが紹介されていました。エッグコッドラーそのものは、初めて見ましたが、「あらっ。蓋の止め方がそっくり!!」、我が家にも、留め金がうさぎの耳の形をしたガラスビンがあります。
蓋の真ん中がくぼんでいて、ビンの方には、金具がひっかかるくぼみがつくってあります。
エッグコッドラーはバウハウスの復刻版だそうですが、バウハウスは設立が1919年(大正8年)、閉鎖が1933年(昭和8年)です。私の持っている日本のビンが、バウハウスのデザインを真似たのでしょうか?その逆?それは、あまり考えられません。
それとも偶然に、似た形になったのか...。あまり見かけない形なので、当時、こんな留め方が流行っていたとも、考えられません。
ビンと、蓋の真ん中にも、「糧友」というエンボスがあります。
金属で蓋を止めるガラスビンとしては、フィンランドのRIIHIMAEN LASIを持っています。蓋をして、金属を持ち上げると、蓋をぴっちり押さえます。
以前は日本で買えて、重宝していましたが、今は手に入らないようです。
口の近くにくぼみをつくり、そこに金属をひっかけてあります。
裏のロゴは、オオカミでしょうか?
2010年5月18日火曜日
もち米入れ 底が四角い形のもの
蒸したもち米入れ、クラティップ・カーオには、下を四角く編んで木の足をつけ、浅い蓋を被せる形のものがあります。
これは、一人用の、小さな、おもちゃみたいな籠ですが、編み目がみごとに揃っています。
ラタンを使わず、全部竹だけで編んでいますが、蓋の、補強のための竹棒をとめてある細工もきれいだし、補強のためか蓋に回したひごも、さりげないけれど、きれいです。
もうひとつ驚かされるのは、縁がこんなにすっきりしているのに、籠の方は、全部が二重になっていることです。いったい、どこから編みはじめて、どこで終わったというのでしょうか。
蓋の方は、縁だけが太く二重になっていて、上は一重です。一重のところから、ちょっと光が透けているのが見えます。
これは、籠師さんではなくて、農家のおじちゃん(籠師さんも農家のおじちゃんであることが多いのですが)が、自分でつくって使っていたのを、いただいたものです。
蓋はがたつくし、編み目もなんか崩れていますが、そこがいい味です。
蓋を取ると、内籠の編み目の大きいこと、大きいこと。
見えないところは急いじゃったという感じですが、ご飯のたびに開けて見るものですから、もう少し気を使った方がよかったかもしれません。というのは、つくらない人の意見です。
これも、あんまり上手とは言えない、全体にゆがんでいます。
この籠は、身も蓋も、完全に二重になっています。二重になっている籠は、たいてい、見えない内側は外側より幅の広い竹で編んでいますが、この籠も外側よりちょっと太目の竹で編んでいます。
もち米入れには、二重になっているものがたくさんありますが、何故なのでしょうか?
編むときは、内側を編んでおいてから、外側を被せていくのでしょうか?