2010年12月26日日曜日

錘(つむ)と、糸車


夫婦で織物を織っている知人がいます。
山羊の毛の、厚手の敷物で、畳一畳より小さいくらいの敷物で、10万円ほどします。
高くて、もちろん買うつもりになったこともありませんが、つくり手の立場になってみると、高いのも納得できないわけではありません。

山羊の毛はギリシャから送ってもらっていますが、近年、山羊の毛自体が少なくなり、値段も上がっているそうです。
山羊の毛を集めるおじいさんが、糸を紡いでもくれていて、その糸を使って、敷物を織っていたのですが、最近、おじいさんが亡くなってしまいました。その息子は山羊の毛を送ってはくれますが、糸が紡げません。多少は紡ぐのですが、完成度の低い糸しか紡げません。
しかたなく、原毛を自分で紡ぐとなると、さらに手間がかかって、それだけ敷物の売値を高くしなくてはなりません。でも、これ以上高くして、いったい敷物が売れるのかどうか、と、彼らは悩んでいました。

そう、手仕事は、愛や、探究心に基いてなら、面倒さも厭わないでとことん手をかけられますが、できたものを売って収入を得ようとしたら、つくり手は、「これくらい元手をかけて、これくらい努力したのだから、これくらいの値段にしなくては、納得できない」、ということになってしまいます。
そして消費者は、高いものを買わなくても生活ができるし、安い工場生産品も、手間賃が安い地域でできた手仕事品も、見つけることができます。
リーマンショック以来、手づくりのものを売って生計を立てている人は、なかなか大変だと聞きます。

糸紡ぎは、古くは女性の仕事でした。
私の好きな児童書には、いつも糸紡ぎをしている女性が、たくさん登場します。『ともしびをかかげて』(サトクリフ著、岩波書店)のネスや、『帰還』(ゲド戦記、ル・グウィン著、岩波書店)のテナーなど、魅力的な女性が、一時も手を休めず、糸を紡いでいます。




写真(『From the Hands of Thai Hills』から)は、タイの山岳民族の、アカの女性が、糸を紡いでいるところです。錘(つむ)は、持ち運びに便利で、どこででも糸が紡げます。

山岳民族の人々は、1980年くらいまで、日常的に民族衣装を身に着けていましたが、だんだん少なくなり、1990年には、ほぼ消えてしまいました。
いまは、観光用に、少数の人が民族衣装を身につけるだけです。

民族衣装を着なければ、綿を栽培する必要も、糸を紡ぐ必要も、布を織る必要も、刺繍する必要もなくなってしまいました。




その、山岳民族の錘です。
円盤形に彫った木に竹を突き刺したものです。彼らは綿から木綿糸を紡ぎます。

綿にしろ、山羊や羊の毛にしろ、一本一本は短いものですが、じょうずに繰り出しながら、錘を独楽のように回すと、撚りがかかって、長い糸になります。




一度撚りをかけただけでも、柔らかい糸ができますが、撚りをかけた糸と糸を、さらに撚り合わせると、より強い、より硬い糸ができます。




錘(つむ)ほど、どこでも糸を紡げるというわけにはいきませんが、糸繰り車があれば、もっと簡単に糸が紡げます。
同じく、山岳民族のラワの女性が、糸車を回して、糸を紡いでいるところです。(写真は、『From the Hands of Thai Hills』から)




かく言う私も、以前織物をしていたので、糸車を持っています。ノルウェー製の、松の糸車です。
羊の毛で糸を紡いで、織ったこともありますが、今は全然使っていません。

場所をとるので、高いところに乗せています。
紡ぐ時間をつくり出そうと思えば、つくり出せないことはないとも思いますが、気持ちを切り替えながら、いろいろなことをするのは、難しいものです。

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