すごい地震でした。
ちょうど外で作業していたので、座り込んで、ただ家が揺れるのを見ていました。右に左に、前に後ろに、大地も家もいつまでも揺れやまず、やまないどころかますます激しくなり、家が紙でできたおもちゃの家のように揺れていました。
あんなに揺れて、欄間としてぐるりにはめてあるガラスのうち、二枚だけしかヒビが入らなかったのは、奇跡のようでした。窓ガラスは全部、無事でした。
しかし、棟瓦の一部は、がらがらと音を立てながら、落ちてしまいました。窓の中では、書斎の本棚の本が、雨のようにひっきりなしに落ちているのが、外から見えました。
揺れがしずまり、しばらくして家に入ってみると、土間入り口の上に飾ってあったガラスビンが、土間に散乱していました。洗面所の鏡も割れて、お風呂場や、洗濯機の中にまで飛び散っていました。食品庫では、胡椒を入れていた大きなビンや醤油のビンが落ちて割れて、足の踏み場もありませんでした。
せめて歩けるようにと、危険物になってしまったガラスや陶器の破片を、余震に気をつけながら集めましたが、停電していて掃除機は使えないので、全部手作業でした。
水屋(食器棚)は、ありがたいことに、薄いガラスの引き戸が、落ちようとする皿小鉢を支えてくれていて、食器はすべてが無事でした。
地震から数日経って気がつきましたが、吊っていた、プレプレマスクが、裏返っていました。
マスクは、平べったいものです。いったいどんな揺れ方をすれば、裏返るのでしょう。
土間に散乱していたガラスビンは、最初見たときは、大きな被害を覚悟しました。ところが、思ったより割れているのが少なかったのは、嬉しいことでした。
余震が大きかった数日は、ガラスビンを床に置いていましたが、片づいた気持ちがしないので、しばらくしてもとに戻しました。
まだ、一日に何度も余震がありますが、細いアルミのパイプの支えもあり、震度4くらいでは落ちたりしません。
それでも、余震で少し動いているのでしょう、お互いにくっついているビンや、倒れているビンもあります。
上の段の、左の空いているところには、ニッキ水のビンが置いてありました。一旦、もと通りに並べてみましたが、強い余震で倒れそうになったので、慌ててそれだけ下に降ろしました。
学生時代から持っていた、ラムネのぶ厚いビンは二本とも割れてしまいました。
しかし、薄いニッキ水のビンは、下まで落ちたのもあったのに、一本も割れていませんでした。とっても不思議なことでした。
三日目だったか、夫に「ひどいぞ」と聞いていた、二階に上がってみました。どこもめちゃくちゃでした。
破片から、一つ一つの招き猫を思い浮かべながら、修復できるもの、できないものを選り分け、修復できるものは、接着しました。ただ、どんなに愛着のある猫でも、粉々になってしまったものは、捨てざるを得ませんでした。
たくさん割れて悲しいはずなのに、無傷な猫が見つかると、「あなたよく無事だったね」と、嬉しくなりました。
津波や火災で、命や財産をなくされた方には、比べようもないほどの些少の被害であったこともあり、54時間の停電にも、120時間の断水にも、まったくへこたれませんでした。
しかし、原発事故には、へこたれています。
このあたりには、有機農家も多いのですが、長期にわたって土壌が汚染されるようなら、これからの植えつけはどうするのか、子どもだけでも遠くへ逃がした方がいいのかとか、皆さん心配なさっています。
もし、今回の事故を教訓として、脱原発をめざすことになれば、大きな犠牲を払ったけれどよかったということになりますが、電力を、今の消費量の20%でも30%でも節約する生活が、みんなで、心を合わせてできるでしょうか?
未来の子どもたちに、
考えさせられる、日々でした。
練習用ゴルフボール
おっしゃるとおり、原発問題はまだまだ心配です。そしてまた、普段の自分の暮らしの在り方も色々と考えさせられています。でもでもとにかく本当にまずはご無事で何よりでした。
返信削除水俣のかごやさん
返信削除ありがとうございます。
戸外に長い時間いることにも、井戸水を飲むことにも、ちょっとビクビクしていましたが、そろそろ、気持ちを持ち直したいと思っています。
かごやさんの腰テゴをつかっているSくんと、有機豚を飼育しているMさんが、「被災地に行って、豚汁を振舞おう」と盛り上がって、M夫人に、「自分たちが将来の展望が見えない時に、呑気にしている場合じゃないでしょう」と叱られたとか(笑)。
生活しながら、原発問題にどう向き合えるのか、今後の課題です。