倉敷硝子の小谷真三さんを知ったのは、40年以上前でしょうか。
なんと、私の祖母の家、私が小さい頃育った家の近くに、他所からやって来られて工房を開かれたのでした。
当時、吹きガラスといえば、沖縄のものか、ときおり手に入るようになったメキシコのものくらいでした。そして吹きガラスは、分業というか、大勢で一緒につくるものでした。
それをたった一人でつくる、いわゆる「スタジオガラス」をはじめられたのが、小谷真三さんでした。
雑誌『アンアン』や『ノンノ』に掲載されたことから、小ぎれいに変身し、全国の町おこしの草分けとなった倉敷の街の目抜き通りにあるお店にも並んでいました が、なにせお一人でつくっていらっしゃるのであっちに一点、こっちに一点、あるいは写真だけで、数はありませんでした。
そこはご近所のよしみで、祖母に口を聞いてもらい、私はコップを半ダース手に入れました。
小谷さんは色ガラスも吹いていらっしゃいますが、私は無色のものが好きです。
ちょっと口を広げた小鉢も、あんみつや、かき氷を食べるのに嬉しい形です。
何の変哲もない、凝った形ではありませんが、重さや形がとても使いやすいのです。
小谷さんは今年で80歳になられますが、ますますお元気で、制作していらっしゃいます。小谷さんは、外村吉之介さん(倉敷民藝館 初代館長)から言われた四つのことを心にとめて、ここまでいらっしゃったそうです。
その四つとは、
健康で
無駄がなく
まじめで
いばらない
それがそのままガラスに表れているような、小谷真三さんのコップや小鉢です。
40年ぐらい前に先生の作品に出会い.. 後に倉敷のアトリエに伺った時には 勝手に押し掛けた どこの馬の骨とも知らない私に 製作の作業を見せて下さり.. 美味しいウドン(奥さまの手作り)もご馳走して下さいました 当時から礼儀知らずの自分を恥ずかしく思い この場をお借りして 御礼・お詫びの様な事を書かせて頂きます *その10年ぐらいは過ぎた頃でしょうか.. 頂きましたコップは (先生が缶の中で捻って拵えた曲線に添って) ..何事も無いのに突然割れてしまいました 硝子 火の贈り物 先生に見せて頂いた書名です 私は時々.. 火の神様に何か失礼を働いたのだろうか考える時が有ります それと ..取って付けた様ですが.. こちらの画像で見せて頂けるコップとほぼ同じ作品を 今も検索すると拝見出来る事を幸せに思います ..そうですか80を過ぎてご健在なのですね 嬉しい事です♪ **すみませんP/C不得手なものでアカウント等分かりませんので 名前のみで失礼します
返信削除福島・手塚さん
返信削除コメントありがとうございます。
改めて小谷真三さんの記事を読み返してみましたが、ここに書いてある40年前というのは、10年間違えていて(笑)、当時の50年前、今からだと60年も前になってしまいます。
私が記事にした当時、小谷さんは80歳を超えていらっしゃいましたが、ネットで見るとご存命のよう、嬉しいですね。
ガラスは、突然割れてしまうなんてことがあるのですね。びっくりしました。残念でしたが、確かにネット検索すると見られるのは、いい時代と言ってもいいかもしれません。
あのあたり、グーグルマップで見るとすっかり様変わりしています。静かな古戦場の面影はほとんどなくなっているようですが、機会があれば、私も行ってみたいと思っています。