ラオスの山岳地帯に住むモン人には、悲しい歴史があります。
独立運動の時にはフランスに、ヴェトナム戦争の時にはアメリカに利用されました。いろいろな飴を見せられ、武器を与えられ、平地ラオ人と内戦を戦うことになったのです。
支配しようとするとき、民族分離を画策するのは、大国の常套手段です。
そのいきさつは、『メコンに死す』(原題チャオ・ファー、ピリヤ・パナースワン著、めこん社)という本に、詳しく記されています。
刺繍に長けたモン人は、自分たちの巻き込まれた戦いを、様々な布絵にして残しています。
もともと、モン人は山の中腹に村をつくり、
作物を育てたり、ブタや鶏を飼って、安寧な生活を送っていました。
しかし、内戦へと駆り立てられ、アメリカによる空爆にも遭遇します。
そして、厳しい状況になっても、頼みの大国から約束されていた援軍がくることはなく、モン人たちは無残に死んでいきました。
そして、1975年、ラオ解放軍が勝利して以後は、難民として、多数のモン人がメコン川を渡って、タイに逃げ込みました。
難民キャンプを経て、アメリカなどに定住したモン人もいますが、いま多くは、ふるさとに帰っています。
そのときの苦悩をモン社会に残す布絵については、『布のちから』(田中優子著、朝日新聞出版)にも、記されています。
平和な生活だけが刺繍される時代が、いつまでも続いて欲しいと、願うばかりです。
ちなみに、ラオス国内では現在、民族集団を表す名前を使っていません。ラオ人は「平地ラオ」モン人など山岳民族は、「高地ラオ」と呼ばれています。平地ラオのなかには、中国人(系)、ヴェトナム人(系)も含まれています。
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