2012年1月23日月曜日

天神さまいろいろ


郷土玩具は、信仰から生まれたもので、そのほとんどが豊作祈願、子どもの成長祈願、病気除けなど、いろいろな願いに結びついています。

今では、赤ちゃんの初節句にはおじいちゃん、おばあちゃんがお雛さまや端午の節句飾りを贈るだけですが、かつては、親戚の人たち、近所の人たちが、思い思いの土人形を贈ったものでした。

郷土玩具をつくっていらっしゃる方の家を訪ねると、戸を開けたとたんに、土間に、あるいは棚に、色とりどり、大きさもいろいろの人形たちがあふれています。

私の持っている人形は、そんな中で出逢った人形たちです。限られた予算で気に入ったものを、ときには気に入るものが見つからないけれど、せっかく来たのだから何か一つと、買い求めたものたちです。




広島県の三次(みよし)の天神さまです。

一人暮らしの祖母を訪ねての倉敷行きは、結婚してからも、子どもたちが大きくなってからも、祖母が亡くなるまで続きました。
新幹線で行くこともありましたが、車で行くこともありました。
車で行くときは、一ヶ所か二ヶ所、どこかに寄りました。たいていは土人形をつくっているお家です。
三次も、中国自動車道をちょっと先まで走って、訪ねたものです。

これは、松負い天神、背中に松を背負っています。




後ろから見ると、松には彩色されていませんが、型(木型)にはきっちりと松が彫ってあるのがわかります。




兵庫県の葛畑人形の天神さまです。これも祖母の家からの帰り道に訪ねました。
どちらも、1970年代の半ばごろのものです。




立っている天神さまは、滋賀県の小幡人形です。
小幡人形の制作者の細居さんをお訪ねしたことはあるのですが、それは学生時代のこと、この天神さまは、それ以後どこかで出逢ったものだと思います。




この天神さまは、どこから来たのでしょうか?忘れてしまいました。




この豆天神さまも、覚えていません。確か、郷土玩具展のような催し物で出逢ったのではなかったかと思います。

「東風(こち)吹かばにほひをこせよ梅花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」
大宰府に左遷された菅原道真は、東の方向にある都を思いながら、903年に大宰府で亡くなっています。
梅の花にちなんで、天神さまの衣装には、必ず梅の花が描かれています。

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