2012年2月14日火曜日

銅板打ち出しの器


プノンペンの骨董市場、トゥールタンポンは、骨董屋さんが並んでいるだけでなく、食材も売っているし、簡単な食事も取れるので、週末には、よく遊びに行きました。

埃をかぶって、目立たないところに積んである、こんな銅板打ち出しの器、いったい何に使ったものでしょうか?

よく見かけましたが、たいていへこんだり、割れていたり、形がいいなと思うと中が汚れていたりして、きれいなものはあまりありませんでした。


タイでは、飲み水の甕のわきに、同じような形の「カン」と呼ばれる打ち出しの器が置いてありました。コップです。
甕の蓋を取って、カンをひしゃく代わりにして、水を直接すくって飲んで、ちょっとだけ飲み残し、口をつけたところを洗うように水を捨てて、また蓋の上に伏せたり、水に浮かべて置いたりします。


でも、これはカンにしては小さすぎます。水はいくらも飲めません。

もっと大きいのも見かけたと思いますが、私の持っているもので、一番大きいのが直径100ミリ、小さいのは65ミリしかありません。 


カンボジアの人は、「ボン」(厄払いの儀礼。タイ語ではブン。日本のお盆も同じ語源) に明け、ボンに暮れます。年中行事や法事もボンですが、ちょっと悪い夢を見た、悪いことが重なったとなると、すぐに僧侶と白い衣装をまとったアーチャンを招いて、お払いをしてもらいます。
ボンをした後に、例えばバイクで転んで怪我をしたとしたら、「ボンをしたのに、どうして?」とは考えず、「ボンをしておいたので、これくらいの怪我ですんだ」と考えます。

アーチャンは、在家の人でありながら、いろいろな知識を身につけた人のことです。アーチャンのもともとの考え方は、ヒンドゥーのバラモン(司祭)からきていて、僧侶と俗人をつなぐ役をしますが、中には僧侶にパーリー語(梵語、サンスクリット)を教える、すぐれた学識を持ったアーチャンもいます。

カンボジア人は、富めるも貧しきも、ボンには、
「どこからお金が出てくるの?」
と、思うほど、湯水のようにお金を使います。


ボンでは、バナナの葉やジャスミンの花などで祭壇を飾りつけ、聖水を用意し、集まった人たちの頭に聖水を振り掛けますが、この器は、聖水入れにしても、小さすぎます。

まさか、ままごと道具でもないでしょう。
インドにはこんな形のシンギング・ボウルがあります。やはりインド源のものと思われます。

この形は、仏壇の鉦となって、日本にも伝わってきています。



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