2012年5月16日水曜日

パレスチナの衣装 その一


今、パレスチナで、手の込んだ刺繍のある伝統衣装をまとっているのは、年配の方だけです。年配の女性には太っている人(お相撲さんなみ)が多いこと、伝統衣装の生地や刺繍糸が化繊であること、スカーフなどの小物が安っぽいことなどから、着ているのを見ても、あまり美しいと感じることはありません。


これは、『Palestinian Costume』 (Shelagh Weir著、British Museum Press、1994年)に載っている写真で、1970年代末に撮影されたラマッラ(エルサレムの北)の女性です。


ナブルス(ラマッラの北)郊外の村の女性、やはり1970年代末に撮影されたものです。色は違いますが、どちらも同形のワンピースになっています。

これほど素敵ではありませんが、似たおばあちゃんたちなら今でも、あちこちで会うことができます。ところが、民族衣装を着た若い女性となると、パレスチナの隅から隅までさがしても、まずお目にかかることはないでしょう。

1997年にベツレヘム大学で、伝統衣装のファッションショーが開かれたことがありました。パレスチナ衣装のコレクターが、そのコレクションを提供し、モデルはすべて高校生でした。


ドレスには、それに合ったヴェスト、アクセサリー、かぶり物などを組み合わせることで、その完成度が高まります。
二十着、あるいはもっとあったでしょうか。どの衣装もため息の出るような美しさで、高校生たちが本当にかわいく見えました。


会場には、モデルになった女の子たちの親姉妹や友だちも陣取っていて、知り合いが出てくるたびに大騒ぎ。
微笑ましいことでした。


衣装の胸元は、どれも手の込んだ刺繍でびっしりと埋め尽くされています。
このドレスは、袖にも刺繍が見えます。


ずいぶん前のことですから、忘れてしまいましたが、これはかぶり物から見て、花嫁衣装だったでしょうか?
ドレスのスカート部分にアップリケが見られますが、これは南部のヘブロン(ベツレヘムの南)あたりの模様です。


どちらを向いても、こんな美しい衣装を身にまとった人ばかりが暮らしていた世界というのは、どんな感じだったのでしょうか?

女性ばかりが、素敵だったのではありません。


男性たちも素敵でした。これはお父さんと息子たちの写真です。
上の女性の写真はラマッラで、1906年に写されたもの。下の写真は1905年、同じくラマッラで写されたもの、いずれも、『Palestinian Costume』に載っていた写真です。



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