2012年5月17日木曜日

パレスチナの民族衣装 その二



エルサレムの旧市街の骨董屋さんで見つけたパレスチナの古着です。エルサレムの旧市街は城壁に囲まれていて、岩のドーム(イスラム教)、嘆きの壁(ユダヤ教)、聖墳墓教会(キリスト教)などのあるところですが、市場もあります。

身長158センチの私にちょうどいいサイズですが、誰かがこのワンピースを着ているのを、一度も見かけたことはありません。


ありがたいことに、『Palestinian Costume』 (Shelagh Weir著、British Museum Press、1994年)で、この服と布のことを知ることができました。
それによると、藍染めの木綿の端に、絹の配色糸を配した、33-34センチ幅の細い布は、今ではイスラエル領内になっている、現在のヤッファで織られてい ました。どうして、配色糸は綿ではなく、輸入しなくてはならない絹だったのでしょう?おもしろいことです。
8メートルから8.5メートルの、一着のドレスがつくれる長さに切って売られていたそうですから、一反に切って売られていた、日本の呉服地と同じ考え方です。

この布は1948年のイスラエル侵攻までヤッファで見られ、その後ガザの難民キャンプでは、1960年代末まで見られました。


ガザの難民キャンプで、この布が織られている写真は、1967年に撮影されたものです。
織り上がって巻き取った布を、身体に結びつけてこそいませんが地機です。張った経糸(たていと)に、縞模様が見えています。


『Palestinian Costume』には、私が持っているのとまったく同じドレスも載っていました。細い幅の布は、手で刺繍しながらつなげてありますが、端と端をつなげることによって、倍の太さの縞をつくり出しています。


そして、これはイギリスの委任統治時代(1923-1948年)に、この布のドレスを実際に来ている親子の写真です。
装飾的に彩色した家の前で、子どもも縞のドレスを着ています。


胸元の刺繍。


布端と布端をつなぎ合わせてある部分です。


よく似たワンピースをもう一着持っていますが、こちらは縞のない無地の布を使い、刺繍がしてあります。
これも同じく海岸地域の衣装でしょうか?『Palestinian Costume』には、記載はありませんでした。
横線の刺繍は、前側に一段、後ろ側には六段してあります。


刺繍の詳細です。


後ろ裾の刺繍は長い間着られていたのか、擦り切れています。

豪華な刺繍がされた、パレスチナ民族衣装も素敵ですが、惜しげもなく着て楽しむなら、こちらの衣装の方でしょうか。もっとも、豪華な衣装は、もし売られていたとしても(市場に出ることはほとんどない)、百倍、千倍のお値段ですから、手も足も出ないのですが。


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