蔦谷喜一さんの本、『わたしのきいち』(小学館)を店頭で見かけたのは1997年でした。
懐かしくて、さっそく購入すると、母のところへ見せに行きました。
喜一さんは戦前から塗り絵を描いていらっしゃいました。
私が子どものころもあったはずですが、無駄なものは子どもに与えない方針の祖母のもとで大きくなった私は、「きいちのぬりえ」の存在すら知らずに大きくなりました。
中学生の時、私と弟は両親に引き取られて、東京で暮らすようになりました。
十歳と十二歳も年の離れた妹たちと一緒に暮すようになった家には、いつもきいちのぬりえがありました。毎週のように母が買ってくるようでした。
母は、何かを習慣化したら容易に崩さない人でしたが、きいちのぬりえもその一つで、いつも家には三、四セットはありました。
きっと、幼い妹たちはまだ、遠くの駄菓子屋には行けない年だったのでしょう。
当時、きいちのぬりえは、四色刷りの袋に八枚入っていました。
高校生になっても、時折妹たちにせがまれて、時には自分から進んで、私も色鉛筆で塗り絵を楽しんでいました。
出逢ったときには子ども時代をすでに通り過ぎていた私にとっても、きいちのぬりえはとても懐かしいものでした。
ところが、『わたしのきいち』を母に見せたら、
「あんたも、好きだね」
と笑っただけで、まったく関心を示しません。
当時は、両親の家の近くに住んでいた上の妹にも、「見せてあげてよ」と念を押して、本は置いてきました。下の妹は関心を示さないだろうけれど、上の妹はきっと懐かしがると思ったのです。
しばらくして、母を訪ね、
「懐かしがっていた?」
と聞いても、妹が懐かしがっていたのか、いなかったのか、全然要領を得ません。
愛想のいい妹ですから、
「あ~ん、懐かしいね」
くらいは言いそうですが、あまり関心を持っていなかったことは確かのようでした。
その後も、喜一の本を見つけると、買ったりしましたが、母たちに見せることはありませんでした。
1970年代から子どもの遊びは大きく変わり、「きいちのぬりえ」は、店頭から、そして子ども世界から消え去ってしまいました。
蔦谷喜一さんは、2005年に91歳でお亡くなりになりました。
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