2012年6月12日火曜日
ダヤックの布
踊り場に掛けてある絣の布は、その昔サラワクの州都クチンで出逢ったものです。
そのときは、カヤン人の村からの帰りでした。一応何かあったときのためにと持ってきたお金も使うこともなく丸々残っていて、もう日本に帰るばかりになっていました。
そんなとき、同行者たちに「お土産を買いに行かないか」と誘われて、クチン一の大きなホテルのショップに行きました。べつに欲しいものもありませんでした。
細々したお土産を買っているみんなから離れて、ラウンジの方へ行ってみますと、この布が掛けてありました。
状態がよくて、あまり使用感がありませんでしたから、たいせつにしまってあったものかもしれません。
かたく織ってあるし、抽象化されているとはいえ具象的ですから、腰布ではなく、祭儀用の布だと思われます。
49センチ幅に織った布を、二枚縦につないであります。
さて、どうしたものか。
しばしおろおろしましたが、誘惑には勝てず、その時の持ち金をはたいて買ってしまいました。
日本人と一緒のときでよかった。タイ人と一緒なら、自分だけそんな贅沢をするわけにいかず、泣く泣くあきらめていたでしょう。彼らは絶対、
「いくらだったんだ?」
と、遠慮なく聞きますから。
ちなみに、日本人には聞かれても、へいちゃらな値段でした。もっとも今ではタイと日本の格差も縮まり、タイ人も驚くとは思えません。20年以上前の話です。
帰ってから、浮き浮き夫に見せると、
「いったい、何をしに行ったのだ」
と叱られてしまいました。
無理もありません。仕事で行っていたのですから。
布には猿や、
ナーガ(蛇の神様)、
人々や、なんだかわからない生き物たちが、満ち満ちています。
サラワクには、先住民のダヤックと呼ばれる人々が住んでいます。
近代法制度が適用されたとき、先祖代々大切に利用してきたダヤックの土地は、彼らに相談することもなく、誰のものでもない土地(=国有林)と区分されてしまいました。
伝統的な慣習法では、土地は誰のものでもなかったり(母なる大地を所有することはできないという思想)、村落の共同利用だったり、数家族の共同利用だったりします。
この慣習法が、個人所有基本の近代法に生かされなかったために、生活を脅かされている人々、とくに先住民は、東南アジアの他の国々にも多く見られます。
サラワクでは、この法制定がフタバガキ科の木メランティーが、ラワン合板の材料として、ことごとく切られてしまうことにつながりました。
フタバガキ科の木は、1ヘクタールに3本くらいしかありません。でも、その3本を切るために、起伏のある土地を均して重機で伐採道路をつくり、他の木をなぎ倒して運び出します。
そのため、「森の人々」が、生きるために利用していた熱帯多雨林は生態系が変わり、疲弊し、川の水は濁り、通年してあまり水位が変わらなく流れていた川は、雨が降ればどっとあふれ、降らないと底が見えるほどに干上がるようになりました。
彼らは、メランティーの大木が伐採され尽した今は、オイルヤシのプランテーションで苦しんでいます。
オイルヤシは、実を切り落としてから24時間以内に加工しなくてはならないので、プランテーションに隣接して工場を建てるので、川の水が汚れます。
また、通年して工場を稼働させるためにはオイルヤシが十分なくてはならず、プランテーション拡大の一途をたどるので、土地は疲弊し、熱帯多雨林の生態系は、もう元通りに回復できないほど変わっています。
ダヤックと呼ばれる人々の中には、イバン人、カヤン人などいます。
この布はおそらく、イバン人の織ったものではないかと思いますが、定かではありません。
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