母が来ていたとき、
「あれっ、今日はお茶碗が違うのね」
と言ったことがありました。夫と私は何のことかとっさにはわからず、きょとんとしてしまいました。
我が家では、水屋からお茶碗を出して、ご飯を盛るのは、夫の役割です。たいていは何も考えずに手をのばして、手が触れたお茶碗を使っているので、今日はどんなお茶碗なのか、二人とも全然気にも留めていませんでした。
一瞬置いて、そのことに気がつき、
「別に理由がないの。その日の気分次第だから」
と母には説明しました。
母はわかったような、わからないような顔をしていました。
そういえば、昔は普段使いのお茶碗は、家族めいめいが違う、決まったものを使っていました。そして、割れるまでそれだけを使っていました。
そんな習慣が生きていたころの、祖父のお茶碗です。
その当時、自分がどんなお茶碗を使っていたかは全然覚えてもいませんが、祖父が使っていたお茶碗は覚えていました。ほかの人たちが昭和らしい、ごくごくありきたりのお茶碗を使っていた中で、祖父だけがちょっと古めかしいお茶碗を使っていたからかもしれません。
祖父母亡きあと、住んでいた家を処分したときに譲り受けました。
瀬戸内地方でしたから、新鮮なアナゴが手に入ったとき、炭火で焼いてかば焼きをつくり、それを乗せたご飯を食べました。
私はアナゴを乗せるだけ、たれをかけてもお茶はかけませんでしたが、祖父はちょっとお茶をかけて、この茶碗に蓋をして、しばらく蒸らしていたのを、昨日のことのように思い出します。
我が家でこの十年、もっとも食卓に上る回数が多いのは、なんといってもヴェトナムのバチャン焼きのお茶碗です。プノンペンに住んでいたとき、市場で買いました。
軽いこと、磁器らしい硬い感じがないこと、なによりも小さめなのが、ぴったりなのだと思います。
下の妹がつくったお茶碗も、比較的よく使います。
陶芸科を卒業してから、愛媛の戸部で職人として7年も働いたあと、自分の窯を持った妹ですが、彼女には彼女なりの理由があって、今はつくっていません。
これはその妹がお湯のみとしてつくったもの、ご飯茶碗ではありませんが、よくご飯茶碗として使います。
上の妹がくれた招き猫のお茶碗。
白山陶器のお茶碗、亡くなった森正洋さんデザインのものです。
彼も、陶器ではなく「食器は磁器」派でした。彼のデザインした平茶碗に心惹かれたこともありますが、平茶碗は私たちにはちょっと大き過ぎます。
これはちょっと古いもの、有田らしく薄いお茶碗です。
昔はこんな薄いお茶碗ばかりあったような気もしますが、日常使いにはちょっと薄過ぎます。逆光で見ると、光が透けて見える薄さです。
そういえば、学生時代に窯元で買った柿右衛門さんの赤いお茶碗も、京都四条の骨董屋で買った伊万里のお茶碗も、全部割れてしまって、残っていません。
どちらも、ずいぶん思い切った買い物だったのに...。
というわけで、ご飯茶碗は磁器が中心です。 陶器のものにはなかなか手が伸びません。
このお茶碗は、陶器にしては軽いし、ご飯がとってもおいしく見えるのに、このところ、とんと出番がありません。
夫の両親が、川崎毅さんにつくっていただいたお茶碗も、重いです。
これも重い。
というわけで、どのくらい重さが違うのか計ってみました。
一番よく使っているバチャンが165グラム、薄い有田が130グラム、川崎さんのとその下の小山乃文彦さんの粉引き茶碗は、230グラムくらいありました。
1500グラムもあるインパクト・ドライバーを日常的に持って作業をしているのだから、 お茶碗が200グラムを超えていたって、持てないこともないと思うのですが、それはそれ、これはこれです。
見た目でお気に入りのもと、使ってお気に入りのものって違うものですね。茶碗でも服でも値段やブランド名じゃなく「しっくりくるもの」を手にとる。結局いつも同じものを使ったり着たり、、、。ところで春さん、ナンプラーを3人前の炒め物なんかに入れる時って、どれくらいが適量ですか?
返信削除はっとさん
返信削除一応、家にあるものは、見た目で気に入っているものばかりです(笑)。で、ブランド物はないです。と言ったら、作家さんに叱られるかな(笑)。
確かに、中でもより使いやすいのがありますね。
ナムプラーは、大きいビンの口が小さいのを振って使っていますが、「今日はちょっと塩辛かった」なんて日があります。割合少なめ、小さじ1杯以下ってところでしょうか。ところが、何度やっても不思議なのですが、ヤム・ウンセンという春雨サラダ、あれはたくさん使います。こんなに入れたと思って味見してみても薄いんですね。
ナムプラーは、お砂糖ちょっとと一緒に使うとさらに美味なこともありますが、材料に寄って、入れたり入れなかったりです。キムチ炒めなんかにもちょっと入れて、隠し味としても使えます。
春さん、これよりもっと小さいわ。この写真の茶碗はぷっくりしてるけれど、私の見つけたのは、4~5歳の子供のゲンコツが入るくらいかなあ。椀の底が狭いの、、、もっと。しかも深さも浅いよ。大酒のみなら、それで酒を飲んでもいいかもみたいな感じです(笑)
返信削除hattoさん
返信削除間違っているかもしれないけれど、もしかして蓋だったということはないですか?
おじいちゃんの茶碗も、蓋がどこへ行ったのか、蓋の高台も高くて、子どもならお茶わんとして使えるくらいでした。
今、蓋つきの茶碗もお椀も、なかなか使いこなせませんが。
唐子が遊んでいる図柄が描かれているので、その配置からして蓋じゃあないと思う。ダイエットする人にはちょうどいいサイズの飯茶碗って感じ(笑)室内にあったものかもしれないです。陶器の肌がくすんでいなくて綺麗だし、欠けている口もとはちいさーくてほぼ問題ないくらいの片方。、、、なので、品ものとしては味気ないですよ。春さんは見向きもしないだろうなあって雰囲気(笑)。
返信削除hattoさん
返信削除そんなことないない、本当はやっぱり傷なんてない方がいい、傷がいいなんて、負け惜しみですよ(笑)。
唐子かわいいですよね。私もお皿持っています。そういえば、お皿にはあんまり日本の童子がなくて、唐子が多いですね。