ストーブを焚くために、つけ木入れを開けると、以前がんこさんからまとめて買ったものの中にあった、
竹のしゃもじが目につきました。
よく見ると平凡だけれど端正な姿、
「まだ使えるじゃない」
と、すんでのところで燃やされないで、復活してきました。
さて、普段使いの
オノオレカンバのご飯しゃもじは、みじめに傷つき、変形しています。
斧も折れるほど堅い木も、夫の手にかかると台無しです。
先日、泊り客があったので、朝ホットプレートで目玉焼きをつくっていました。金属のへらを手にした夫、
「これじゃなくて、
竹のへらがあっただろう。あれの方が使いやすいんだよな」
どうして?
竹のへらは厚みがあり、ちょっと使いにくいものですが、以前のホットプレートにはそれしか使えなかったので、いつも使っていました。
ところが、一、二年前に古いホットプレートが壊れて、新しいのを買ったら、金属のへらがついてきました。
そう乱暴にしなければ金属のへらが十分使えるほどフッ素加工が丈夫だということ、30年ぶりに買い換えたので、その間に加工技術が進化していたのでしょう。
しかし、まさか、夫が竹のへらを使いたがるとは思ってもみませんでした。
「わかった。思う存分がりがりしたいんでしょう?」
「うん」
勘弁してください。
そんなことをするから、しゃもじもへらもバターナイフも、みんな擦り減ってしまうのです。
ちなみに、客人たちにしゃもじが擦り減っているか、たずねてみました。
誰も減っていない。やはり、我が家固有の現象のようです。
「しゃもじは、長い間使っているのですか?」
いえいえ、ほんの数年です。
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