2012年12月19日水曜日
鞠猫
山形張り子の鞠猫です。
なにせ昔のことなので細部を忘れていて、東北に旅行した時に手に入れたとばかり思いこんでいましたが、それにしては記憶があいまいなので、当時毎年お正月に開かれていた、日本橋白木屋の「日本郷土玩具展」で手に入れたものかもしれません。
起き上がりこぼしになっています。
息子たちが小さい頃、息子やその友だちがお絵かきするときに題材として、郷土玩具の棚からよく鞠猫を選んでいました。
古びているうえ、クレヨンのついた手で触ってすっかり汚れ、おまけに昨年の地震の爪痕まで残しています。
山形の渋江人形は、幕末に京都からやってきた渋江長四郎が、嵯峨人形の手法ではじめたものでした。四代目彦吉まで、張り子だけでなく、土人形、練りものなどいろいろつくっていましたが、1965年に彦吉が死去して、後継者が絶えました。
しかし、長四郎の弟子筋にあたる岩城家で型を引き継ぎ、名前も山形張子と変えて、現在に至り、岩城久太郎さんとそのお孫さんたちが、張り子をつくられています。
久太郎さんの鞠猫を見ると、赤い鞠に乗っています。猫の表情も違います。
鞠の色はどうとも変えられますが、この鞠猫が黒目だけなのに対して、久太郎さんの鞠猫の目は、水色の中心に黒目を入れたものです。
私の持っている鞠猫は、久太郎さん作でないとしたら、購入当時はご存命だった渋江彦吉さんのつくられたものでしょうか?それとも、岩城久太郎さんは現在92歳ですが、久太郎さんの先代がつくられたものでしょうか?
まるっこい、お座りした上品な顔立ちの犬も持っていたのですが、度重なる引っ越しで失われたようでした。
これも写真で見ただけですが、久太郎さんの犬の顔とは異なるようです。
さて、しばらく前に骨董市で右の鞠猫を見つけました。
張り子ではなく土でできているのですが、てっきり山形のものだと思っていました。
ところが裏を見るとシールが貼ってあり、「益三、京陶人形」とあります。
土の鞠猫は京都の人形だったのです。
嵯峨人形の製作者は、学生時代に訪ねたことがありました。小さいとてもかわいい人形ばかりつくっていらっしゃいましたが、鞠猫は見たことがありませんでした。
幕末に、京都から山形に移った渋江長四郎は、嵯峨人形の手法で人形をつくったとされていますが、京都で見た土の鞠猫を山形で張り子で再現したのか、あるいは山形の鞠猫を見て、近年京都で似たものを土でつくったのか、どちらでしょう?
ただ、双方に何の関係もなかったとはあまり考えられないような気がします。
張子より、土の方が形に制約がないので、より立体的ですが、上から見ると一番印象が異なるのは、素材のせいでしょう。
土で、後ろに出っ張った形につくると、ひっくり返ってしまいますから、張り子より前に出ています。
それにしても鞠猫さんたち、
どちらもいいお顔です。
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