2013年3月27日水曜日

廣島一夫さん


15歳で竹籠職人のもとに弟子入りして、以来竹細工一筋、数年前まで現役でいらした、宮崎県日之影の籠師さん、廣島一夫さんが、3月14日に、お亡くなりになったそうです。
享年98歳でした。


直接お会いしたこともないし、廣島さんのおつくりになったものも写真でしか見たことがないのですが、水俣の籠師さんの井上克彦さんや、 小川鉄平さんの敬愛してやまない大師匠としては、よく存じ上げている方です。


おりが作る籠は見るためもののじゃねえとよ。
使うためのものじゃ。

そのお言葉にものづくりの真髄が見えます。
ものをつくるのは同じように見えて、「見せるためにつくる」、 「名声を得るためにつくる」、「お金を得るためにつくる」、「つくるものに思い入れて、納得がいくものをつくる」など、いろいろあるのです。
 

例えば卑近な例に、茶碗づくりがあります。
ご飯茶碗なら、どんなに高価でもせいぜい5000円でしか売れません。それを、ちょっと大きくして抹茶茶碗として売れば、手間は同じなのに安くても5000円、あわよくば、200万円で売れたりします。
もちろん、抹茶茶碗にもまっとうなものがあると思いますが、値段のからくりがあるのも確かです。

バブル期に、友人に連れて行ってもらった陶器の工房は、古い家を移築した豪勢なものでしたが、並んでいた売り物の茶道具を見て、値段を聞いて、ひそかにのけぞったものでした。
本当に価値のあるのもかどうかわからず、「名前」や「値段」で判断する人には、飛ぶように売れる、つくる方も買う方も どっちもどっちですから、なんとも言えません。


そういう輩の対局にいたのが、廣島さんだと思います。
使う人のどんな要望にもこたえようとし、美しい仕事を追求し、心から仕事を楽しみ、自分をごまかさずに生きてきた....。


これは、日之影の背負子かるいをつくっていらっしゃる写真で、『A Basketmaker in Rural Japan』から、転載させていただきました。


そのかるいを背負って農作業に行っている姿です。


手前が、ウナギの筌(うけ)、「うなぎかっぽ」で、大きい籠は捕ったウナギを入れる、「うなぎほご」です。
このように、廣島さんたち籠師さんのつくられたものは、生活になくてはならないものでした。
 

使っていらっしゃった道具たちは、竹細工を支えるものたちですが、美しいものばかりです。


廣島さんの永遠の師匠は「ウシどん」と呼ばれていた方で、実際には若い時に一度だけ、しかも短時間お会いしたことがあるだけだそうです。
しかし、籠をつくりに農家を回ると、いろいろなところでウシどんのつくった素晴らしい籠と出逢い、その籠たちを師匠として、廣島さんはウシどんに追いつこうと、精進なさったようです。

廣島さんの籠も、ウシどんの籠同様、長くみんなの心に残り、受け継がれていくものと思われます。
ご冥福を心からお祈りします。

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