久しぶりの更新です。
招き猫を、本腰を入れて集めはじめたのは、二十年ほど前のことでした。当時は、ときおり食堂の店頭で、頭の大きい常滑系の招き猫を見掛ける以外、町を歩いていても、招き猫にお目にかかることはめったにありませんでした。
ところが、それから数年後には大ブレイク、招き猫作家さんたちが増え、街のあちこちで招き猫を見掛けるようになり、今では招き猫はちっとも珍しいものではなくなりました。
観光地やデパートに、かつてお土産こけしが並んでいたように、招き猫はどこにでも並んでいて、現代の社会現象と言っても過言ではありません。
そんな招き猫の流行は、何も今だけのものではないようです。江戸時代から、何度か大流行してきたことが、いまどきさん(吉田義和さん)のホームページを見るとわかります。
いまどきさんほど、今戸人形を愛してやまない方はいないと思われます。
昔の色あせた人形から、あるいは『うなゐの友』などの文献から、また関東大震災は東京大空襲で瓦礫とともに埋没したのを発掘したものなどを参考に型を起こし、たくさんの土人形を制作していらっしゃいます。
『うなゐの友』をはじめ、浮世絵など古い文献に載っている今戸人形などの郷土玩具は、写真ではなくて、すべて絵です。とても味わいがありますが、それから型を起こされるのも、埋蔵破片から型を起こされるのも、焼け焦げた人形から色などを特定されるのも、大変なご苦労があることでしょう。
そしてさらにすごいのは、形だけでなく、地域(東京下町)で採れる土にこだわり、顔料や膠にもこだわって、できるだけ往時の土人形を、忠実に再現しようとなさっているところです。
そう、今では顔料は、簡単に使えて色落ちしないものにとって代わられ、中にはアクリル絵の具で色つけした土人形さえあるそうです。
前置きが長くなりました。
そんな、いまどきさんの招き猫たちです。ホームページなどで拝見しているとあまりにもかわいらしく、ぜひ猫たちに逢いたくなり、注文してしまいました。恐る恐る注文したのですが、「安い!」、手がかかっているとは思えないお値段でした。
招き猫の火入れは、いまどきさんの土人形の中で一番大きいものだそうです。
灰を入れて、炭を入れ、手あぶりにしたものでしょうか?火入れと言えば、私はもう一つ、瓦のものを持っています。
この火入れは、蚊取り線香を入れて、蚊遣りにも使えそうです。
貯金玉は、左が寺島風、右が尾張屋風です。頭の後ろに硬貨を入れる穴が開いています。
右と左では作風が全然違います。昔は今戸人形もたくさんの方々がつくっていて、人それぞれでした。そんな中で、いまどきさんの、もっとも愛されている(たぶん)、尾張屋春吉翁のつくられた人形たちは特別かわいくて、見飽きることがありません。
尾張屋風貯金玉は、1997年に手に入れた、少々大きいものも持っていました。
右招きよだれかけと、右招きです。
いまどきさんの工房はこんな猫たちで溢れているのです。お仕事となるといろいろ苦労もあると思いますが、たくさんの猫たちに見つめられると、疲れなど吹っ飛ぶのではないでしょうか。
本丸〆猫(まるしめねこ)です。
丸〆猫とは、江戸時代に流行した招き猫でした。「全部いただき!」とか、丸をお金に見立てて、「おあしはいただき!」という意味だったのが、人々に受け入れられ、大流行りとなったのでした。
この本丸〆猫は、背中にこんなマークがついています。
以前から持っていたものも一緒に、いまどきさん作の人形大集合です。
江戸後期に浅草で大流行した丸〆猫は、江戸土産として全国に散らばり、やがて江戸以外でも、招き猫がつくられるようになりました。丸〆猫は、いわば全国の招き猫の原型、ということは世界の招き猫の原型でもあります。
丸〆猫は、草双紙や『うなゐの友』には描かれた姿が残っていますが、実物は関東大震災や空襲でことごとく失われて、ほんの一部の収集家の所蔵品が残っているだけでした。
そのことが、いまどきさんが人形をつくるきっかけとなりました。つくりはじめた当時は高校の先生だったいまどきさんは、ライフワークとして今戸焼の研究や収集をなさっていましたが、自分の欲しい人形が手に入らないことから、自ら土をこね、昔の型を再現なさるようになったのです。そして、家庭の事情で勤めをやめて、今は人形の制作に専念なさっています。
この丸い顔の丸〆猫は昭和初期につくられた猫のようです。
丸〆猫たちの後ろ姿です。
いまどきさんは、多面的な考証に基づいて、型を起こされていますが、起こされた型を新事実に基づいて修正することも厭われません。
この丸〆小判猫にしても、どちらが先でどちらが後か、大きさも細部も微妙に違います。
ともあれ、平面資料でしか見ることのできなかった失われた猫たちが、立体になって存在するのは、とてもうれしいことです。
また楽しみがカムバックですね、
返信削除漱石の小説の中に「今戸焼きのタヌキのよう、、、」と言う形容があります。
タヌキも妬いていたのか、単なる不細工の形容か、
ご存知でしょうか。
昭ちゃん
返信削除ありがとうございます。タヌキはあったようで、いまどきさんが写真を紹介(http://imadoki.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/10/post_499a.html)していますし、火入れの狸もあったようです。
『吾輩は猫である』に「今戸焼の狸みてえな高慢ちきな面」とあるようですが、尾張屋春吉翁作の狸を見る限り、なかなか紳士的ですました顔をしていて、漱石に似てなくもありません(笑)。