2013年7月13日土曜日

紋織(五)、付録


これはラオスのパヴィエン(ショール)の部分です。
模様糸が端から端まで通っていることもあり、模様綜絖(そうこう)を使った、紋織だということがよくわかります。
 

裏を見ると、模様糸と地糸の色の出方が、表と真反対になっているのがわかります。

余談ですが、下の方で縞模様が乱れているのは、故意にではなくて、経糸の綜絖の通し方を間違えたものです。ちなみに、同じパヴィエンの別の個所では、縞模様は正しく織られています。 
何らかの理由でずれてしまったのだけれど、構わず織ったものでしょう。 
 

一色の模様糸ではなく、模様ごとに色を変えて多色を使っている場合、そこだけ経糸をすくって模様糸を入れながら織っても同じようなものが織れます。

もっとも、このラオスの防寒用ショールの場合、裏返すと、


裏は、表が地色のところだけ模様糸が見えていて、やはり模様綜絖を使って織ったものだということがわかります。

ちょっと模様糸の出方が少ないけれど、裏も模様としては表に遜色ありません。
 

ただ、動物の脚の部分を見ると、表で余白(この場合は余黒)を際立たせた分、裏に模様糸が多く出ているのがわかります。



これも上と同じパヴィエンの一部です。
このような完成された模様になると、表同様、裏もみごとです。ちなみに、下が表です。

紋織りを織るための特別な織り機である空引き機は、日本では織物博物館にしか残っていません。そして、中国やヨーロッパでは、残っているかどうかさえも知りません。
それが、単純な形の空引き機とはいえ、ラオスやタイ北部では今でも残っていて、しかも一般人に易々と使われているというのは、本当に不思議なことです。
地球上の他の地域では、模様綜絖を使う織り機は残っていないのでしょうか?

世界中を見て歩いたわけではありませんが、私はおそらくない、もし残っているとしたら中国の少数民族のどこかにしか残っていないのではないかと思います。
それほど、空引き機は貴重なものであり、かつ貴重な織り方です。


これはブータンの織りものです。
紋織りに似ていますが、紋織りにしては模様糸がべったり見えていて、余白(地色部分)も目立ちます。
しかし、紋織りでも不可能な模様ではありません。


でも、裏を見ると、全く違うことがわかります。

これは、模様のところだけ、いちいち経糸を手に持った刀形の板ですくいながらつくった模様です。
模様綜絖を使う、いわゆる空引き機よりずっと単純な織り機で織れますが、その分、織るときに手がかかっていると言えます。
でも、ブータンの織物の場合、地布が平織りになっているので、方法としては割とシンプルです。
 

ところが、このグァテマラの織りものは、地布が経糸しか見えない織り方りながら、模様は経糸でではなく、緯糸でつくられているのが面白いところです。


裏を見ると、ブータンの織りもの同様、模様のところだけを、手で経糸をすくって織ったのがわかります。


南米の多くの織りものは、広い意味での平織りですが、緯糸を細くして、経糸だけが見える方法で織っています。
見えるのは経糸ばかり、何色の緯糸を使ったのかもわからないほど、経糸が詰んでいます。

平織りは、通常経緯(たてよこ)同じ太さの糸で織ります。
すると、糸と糸の間に、糸の厚み分の隙間ができるので風を通す、夏や暑い地域では快適な布が織り上がります。涼しくていいのですが、防寒にはなりません。
そこで、寒さよけには、布の目がもっと詰むように綾織りにしたり、経緯の糸の太さを変えて、織り目を詰めたりする工夫がなされてきました。

しかし、面白いと思うのは、経糸しか見えない織り方なのに、経糸で模様をつくらず、緯糸でつくっているところなのです。
経糸で模様をつくる方法もあります。


この帯は、メキシコの帯です。
経糸だけが見える織り方で、模様を経糸でつくっています。
よく考えられた模様で、表裏とも色の出具合がほぼ一緒、裏を出して使っても表を使っても違和感がありません。
 
 
帯のように細いものだと、手で経糸をすくうのもそう難しいことではありません。
この少女は、経糸をすくったあと、刀形の板(ここでは物差しのような板)を立てて、今まさに杼に巻いた緯糸を隙間に通そうとしているところです。そして、手前ではもう一人編んでいるのがわかります(写真は、『FOLK ART OF THE AMERICAS』より)。
この場合、紋織りのように、地布の経糸とも緯糸とも関係ない模様糸を使う必要はありません。
経糸そのものが、模様として織り出されるからです。


フィリピン(?)の帯も、同じ方法で織られています。
あらかじめ四色の経糸を使い、それで模様をつくっています。


ただ模様は、メキシコの帯とは違って裏と表では全く感じの違う仕上がりになっています。
 

それにしても、わからないのはこの布です。
赤と黒に染め分けた布を二枚はいで、端を「わ」にして、サロンに仕立てた布です。

箪笥の中にありましたが、どこで買ったものか、全く記憶がありません。手に入れたときの情景が思い浮かばないのですから、たぶん、バンコクのチャトチャック、週末市場あたりで買ったのではないかと思われます。
てっきりタイの布だと思っていましたが、織り方から、どうやら違うようでした。


模様が緯糸の模様ではなく、経糸の模様で織られているのです。
フィリピン、あるいはインドネシアあたりの布でしょうか。


経糸の模様は、模様のところだけ縮んだり、逆に伸びたりしがちですが、見事に織られています。

織り目を見ると、赤い経糸がほぼ目立ちますが、黒い緯糸もちらちら見えていて、中南米の織りものより経糸を密に張らず、また中南米の織りものより、緯糸をしっかり打ち込んで織った布であることがわかります。


これは、上の、動物のような模様の裏です。


もう一枚、同じような布がありました。これもあることさえ忘れていた布です。
二枚の布をはいで、幅を広くしてあるのですが、端は「わ」にせず、それぞれに三つ折り縫いにしてありますので、寝具として使っていたものでしょうか。
二つ折りにして撮りましたが、2メートルほどのかなり長い布です。


この布にも、布の一方の端に、経糸模様があります。


その裏です。
「どうやって、織るのだろう?」
古い記憶の底でぼんやりしているのですが、もしかしたら模様のところだけ、部分的に取りつける模様綜絖があるのかもしれません。
織りもの一枚一枚に背景があり、さらに長い歴史も秘めている、なかなか興味がつきません。



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