2013年7月28日日曜日

どこから来たの?


土人形は、自分なりに大切にしているつもりですが、常時飾っていて、何度も引っ越しをし、ときには梱包したまま、条件のよくないところに置いておくこともあったりで、痛みの激しいものもあります。

この踊る娘は、禿(かむろ)を舞っているのでしょうか?それとも別の舞でしょうか?
顔もかわいくて大好きな人形ですが、表面が湿気て顔料が粉になってはがれ落ち、かわいそうな状態になっています。


同じ人のつくったもので、加藤清正です。

今だったら、少しは分別もあるので、実家に預けるなどしたと思いますが、この人形たちはその昔、ガーナに連れて行きました。
段ボール箱も便利な梱包材もなく、輸送事情も悪い時代でした。
ガーナを引き上げる時、引き続きアメリカに行くことになったので、人形たちはアメリカにも渡りました。
幸い無傷で帰って来たものの、後に湿気させてしまったのです。
娘の方は地震で後ろが割れてもいます。


この人形たち、後ろまでしっかり描きこまれています。
娘の肩脱ぎの着物は、褪せていますが薄緑色で、白ではありません。

ところが、この人形たちがどこの人形だったか、どうしても思い出せないのです。というか、なんとなく中山人形だと思っていました。


ところが、よく見ると中山人形とは表情が違います。また、中山人形も上の人形たちと条件が違わなかったはずなのに、顔料がはがれ落ちていません。
たぶん、顔料が違うのです。


しかも、中山人形は後ろまで書き込んでいなくて、白い部分を残し、銘もあります。

さぁて、踊っている娘と幼い加藤清正はどこの人形だったのでしょう?

学生時代に訪ねた郷土玩具の窯元は、数が知れています。窯元への道、戸をがらっと開けた時の印象なども断片的には覚えているので、地図も思い浮かべながら、思いを巡らせてみるのですが、どうしても思い出せません。
虎退治をしていない幼少の加藤清正は珍しいものです。後ろまで全部絵つけをしている土人形も珍しいものです。それなのに残念、まったく見当もつきません。


3 件のコメント:

  1. 当方へのコメントいただき、ありがとうございました。久しく更新しておりませんでしたので、今頃になってお邪魔しました。すみません。私も昔は作者を訪ねて見学させてもらい、記念に頒けてもらったりしていました。一番下の秋田の中山人形ですが、私がお邪魔したときはそう昔でもなく、彩色にはネオカラーが使われていました。画像のもネオカラー彩色のものなので剥がれたりしにくくできていると思います。ネオカラーになる前は泥絵の具で塗って、上から膠を重ね塗りしてツヤを出していた時代でぱりっと剥がれたりするものがあります。

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  2. いまどきさん
    ありがとうございます。私が中山人形を訪ねたのは昔も昔、1961年、樋渡義一さんがつくっていらっしゃった頃です。そのころからネオカラーだったのでしょうか?確かに膠でぱりっとはがれる人形も持っていますが、中山人形は丈夫です(笑)。花魁はその場で買ったのですが、熊谷敦盛はなくて後で送っていただきました。たぶん、生まれて初めての土人形屋さんで、興味津々、小さいものは50円ほどでした。

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  3. いまどきさん
    1961年ではなくて1962年でした。一年くらいどうでもよさそうだけれど、どうでもよくありません(笑)。

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