その昔、誘われて水海道の鬼怒川のほとりにあった紺屋さんで、藍染め体験をしたことがありました。
鬼怒川沿いにはかつては紺屋がたくさん並んでいたそうです。近隣の人たちが糸や、自分で織った反物を染めてもらったりするのに、紺屋さんははなくてはならない存在でした。
1960年ごろから人々の生活が変わり、紺屋さんたちの役目がなくなりました。一軒また一軒と店を畳み、1980年代には、とうとう最後の一軒を残すのみとなりました。
いよいよ最後のの紺屋さんが藍甕を壊して廃業しようと決心していたところ、
「閉めるくらいなら、女子禁制を解いて、染めものをしたい人たちに藍甕を解放してみたら」
と助言してくれる染色家があり、紺屋さんは廃業を思いとどまって、染めものをやりたい人たちを、一日に一組か二組だけ受け入れるようになりました。
少なくても予約は半年前という人気ぶりで、その約束の日は、確か一ヶ月後ほどに迫っていました。
「染めるものはなんでもいいの?」
「藍甕がよごれるから、ろうけつはダメだって。新しい布は染まらないから、染めるものは石鹸でよく洗ってね。私はTシャツを、ちゃっちゃと絞るの」
それまで、鉱物藍で糸を染めたことはありましたが、藍甕の経験など、まったくありませんでした。
せっかく行くなら、間に合わせにしないでちゃんとしたものをつくろうと、部屋の間仕切りとして使う布を染めることにしました。
そのとき住んでいたつくばの家は、断熱材が入っていない昔のコンクリート造りで、冬はとても冷えました。いくらストーブを焚いても、居間からお風呂場やお手洗い、そして二階へと続く通路から、暖かさが抜けていくのです。
生成りのシーチングを洗い、鉛筆で下絵を描き、糸でくくりはじめました。
ところが、くくり進むにつれて、布はくちゃくちゃと縮まり、だんだん進まなくなりました。
時間切れ、息切れで、とうとう期日までに全部くくりきれませんでした。
当日、息子の同級生のお母さんが予約しておいた藍染め体験に、参加したのは、四、五人でした。
わいわい染めて、染めたあとは、工房の裏の土手を超えて鬼怒川の浅瀬に入り、川の水でじゃぶじゃぶ洗いました。干してはまた染めて、そして洗ってまた干して、紺屋さんの歴史を聞いたりしながらの、とても楽しい一日でした。
お弁当まで持って行って楽しんだのです。
あたりまえですが、絞りが完成していないので、変に仕上がりました。
四角い枠からくくったので、枠だけは絞り上がっているものの、枠の中はくくり途中のところや、まったく手つかずで、枠の中はただ藍色というところもありました。
糸をほどいて、しばらくは放りっぱなしでしたが、やがて完成していないところは切り離せばいいということに気がつきました、未完成のところを切り、上下に藍無地の布を足しました。
その方が締まって、かえってよかったかもしれません、冬場の通路のカーテンとして、数年使うことができました。
まあ、固くて面白みに欠ける模様ではありましたが。
藍染め体験は、そのときの一度だけに終わりましたが、濃い無地、薄い無地、さまざまな縞など、藍木綿の反物を買いに行ったり、遠来のお客さんが来たら連れて行ったりして、紺屋さんとはしばらくおつき合いをさせていただきました。
紺屋夫人も健在で、古い力織機が残っていて、工場からはいつも着尺を織る音が響き渡っていました。
当時、紺屋さんで手に入れた布は、もんぺやブラウス、キルトや小物などに仕立ててしまいましたが、一反だけ丸々残っています。
普通の着尺より細い糸で織った布で、光沢があり、着物に仕立てるなら雨ゴートなどがいいと言われた上等の布です。
何にしようかと考えているうちに、時間が経ってしまいました。
紺屋夫人が亡くなってから、手が足りなくて力織機は止まりましたが、藍甕は、1990年ごろにはまだ守られていました。
今はどうなっているのでしょう?
先日いらした方が、昔水海道に住んでいたと言うので紺屋さんのことをたずねると、直接ご存じではありませんでしたが、今でも水海道では藍染め体験ができる場所があるとのことでした。
当時は勤めていらっしゃった紺屋さんの息子さんが受け継がれたか、あるいは他の方が引き継いで藍甕を守っていらっしゃるのかもしれません。
その藍染め体験の時、 絞り布と一緒に印花布のコートも染めさせていただきました。
北京で買った 印花布を、タイの仕立屋さんで、手持ちのコートと同じ形につくってもらったのですが、藍と白の対比が強すぎて、冬にはとても着られない代物だったのです。
藍で染めたことによって対比は薄まり、柔らかい印象になったので、それからはよく着るようになりました。
印花布は布目がつんでいるので、そのままでも十分暖かいのですが、
毛布のような厚手のライニングをつけると、もっと暖かくなります。
水海道の町は、鬼怒川交易の拠点の一つとして栄えた古い町でしたが、今は他の地方の町同様すっかりさびれているようです。
八郷からもそう遠くはないので、機会があれば一度訪ねてみたいものです。
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