2013年11月3日日曜日

霧吹き


先日、常夜灯の障子紙がぼろぼろになったので、貼り替えました。
もっとも常夜灯の目的でつくったのですが、夜に灯しておく必要がないので、照明の存在まで忘れそうになっていたものでした。


もちろん手づくりで、障子の桟だけ、手持ちの組み子を利用したものです。


障子紙を貼ったあと、霧を吹こうと霧吹きを出して見たら、何の理由もなく使えなくなっていました。


押しても、押しても水が出ないのです。
このタイプの霧吹きが、突然使えなくなってしまっていたのはこれで二度目です。
デザインそのものに無理があるとしか考えられません。
このタイプのものを、初めて見たのは30年くらい前だと思います。中国製ですが、オリジナルデザインはヨーロッパのものでしょうか? 

日本の霧吹きって、昔はどんな形をしていたのでしょう?
記憶はおぼろげですが、霧吹きを言うくらいだから、缶に管がついたような形のものを吹いていたのではないかと思います。

もっとも、霧吹きはなくても、口に水を含んで頬を膨らませ、「プッ」と吹けば事足りるのですが、水が均等に飛ばないと、障子が水浸しになってしまったりします。

さて、どうしよう。
簡便なプラスティック製のものを常備しておく以外、方法はないのかもしれません。


4 件のコメント:

  1.  母がブリキ製の小さい霧吹きを使っていました。
    虫除け用の噴霧器は大きかったですね、
    こういう道具は私たちの遊び道具でした。

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  2. 昭ちゃん
    ありがとう。その霧吹きって、缶部分が直径6~7センチ、厚みが3センチくらいだったような気がします。長い間見たことがありません。例えば私の母はどんな霧吹きを使っていたのか、全く覚えていません。今度会ったら聞いてみます。
    フマキラーの噴霧器は、たぶん触ったことがなかったんじゃないかしら。祖母の家では、くるくる巻いた生え取り紙専門でした。殺虫剤の匂いは、恐ろしいものでした。とても遊ぶなんて(笑)。

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  3.  春さん
    私が始めて見たのは戦後の朝〇新聞の連載漫画「ブロンデー」です。昭和22年前後かな?
    「Okra・オクラ」で何の野菜かわかりませんよね。

     母が大正時代三井物産の社長の家で働いたそうで、チーズやマヨネーズ・トマトケチャップは知っていたそうです。
     以前戦時ドラマで木炭自動車がすぐに動いたので驚きました。

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  4. 昭ちゃん
    オクラは確かに、アメリカ経由で入って来たようです。アフリカ原産で、1960年代に、私は初めてアフリカで見ました。
    そうか、ブロンディにはOkraってあったのですね。あのころのアメリカ生活と日本生活ではまったく違っていましたよね。
    学生時代に、ハンバーグ、ピッツァ(ピザ)餃子などは初めて食べました。高校時代は友だちと銀座に遊びに行って、バッテなんか食べていましたもの(笑)。

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