2014年1月11日土曜日
タイ思い出旅行
息子に連れられて、タイに行ってきました。
息子夫婦と、息子の事務所の女性たち二人と一緒に行ったもので、私たち夫婦はただの水先案内人に過ぎないと思ってついていったのですが、どうやら親孝行の意味もあったようでした。
息子は、長い間タイに足を向けようとしませんでした。
小学生のときに異国で暮らすことになり、寂しい思いをしたというしこりのようなものが残っていたのだと思います。
そんな彼の今回の旅の目的は、バンコクで住んでいた家を見てみたいということと、プーケットの浜辺が、今はどうなっているのか見たいというものでした。
タイ滞在中は、他のところにも家族で行きましたが、中学生になったのを機会に、家族と別れて一足先に帰国して、帰国子女校の寮に入ることになった息子にとって、タイで最後の家族旅行として、プーケットが印象に残っていたようでした。
あれから30年以上の月日が経ち、バンコクもプーケットも劇的にさま変わりしているのですが、幸い私たちが住んだ家は、周辺がすっかり変わっているにもかかわらず、二軒ともそのまま残っていました。
もっとも、どちらの家も高い塀に阻まれ、人が住んでいるし、犬も吠えるしで、どんな様子か中を見ることはできませんでした。
今ではたくさんのホテルが建ち、世界を代表するようなリゾートビーチとして知られ、国際空港もあるプーケットですが、私たち家族が遊びに行ったときは、やっとビーチが知られはじめ、ホテルという名のついた簡易バンガローがぽつぽつと建ちはじめたころでした。
プーケットには、大小たくさんのビーチがあります。
その昔遊んだのはどの浜だったのか、もちろん名前も覚えていませんでした。
ところが、今はなんという時代、グーグルアースを使って詳細に調べていくと、プライベートビーチでない限り、どの浜の写真も見られるのです。
息子はとうとう、沖に見える島の形や、浜のはずれにあった岩場の形から、行ったのはナイハン・ビーチだったとつきとめました。
そして、プーケットに着いたその日に、ナイハン・ビーチに行ってみたのです。
プー ケットの多くのビーチは小さく、そのほとんどがホテルのプライベートビーチになっていて、ホテル宿泊者しか入ることはできません。
とこ ろがナイハン・ビーチは割合大きい浜であるうえ、古くから海水浴場として開けていたためか、誰でも泳げるビーチとして、賑わっていました。
かつて、浜を見渡しても、人影は数えられるほどしかいず、
背後には、小さな草葺きの「海の家」がありました。
ところがいまは、貸し椅子がずらりと並んでいます。
ここだけで数千人も遊んでいるでしょうか、浜の端から端まで二重三重に置いてある貸し椅子は、午後も遅いと言うのに、ほとんどうまっていました。
夕暮れたら、その浜辺の背後の食堂で食べるというのも、息子の旅の目的の一つでした。ここで昔、お粥を食べたと言うのです。
浜の背後には、いまも開放的な食堂が数軒並んでいます。昔来たとき屋台があったと思われる場所に近い食堂を選んで、食べることにしました。
食べるのに夢中で、ほぼ食べ終わってからの写真です。
手前はカー(南姜、なんきょう)とレモングラスが効いた鶏スープ、右はスープのおいしいお粥、パイナップルの皮だけ見えるのは、中にパイナップル入りの炒めご飯が入っていたもの、ココヤシに入っているのは、タイ風茶碗蒸し、などなどです。
アダン(パンダナス)の向こうに、日が沈んでいきました。
昔外米と称してタイのお米をたべましたが
返信削除細長くパサパサして味がありませんでした。
今は改良され美味しいでしょうね、
昭ちゃん
返信削除たぶん、昔は古いお米か、割れたお米だったのでしょうね。そういえば、日本のお米にも不味いお米がありましたね。きっと、昔より精米機の性能が上がったのだと思います。
タイ米は、世界中に輸出されていますが、割れてない香り米などは、おかずなしでもおいしくて、いくらでも食べられます。日本で買うと高いので、重いのに買ってきました(笑)。冷蔵庫に入れておけば、かなり持ちますが、すぐなくなりそうです。