2014年4月10日木曜日

蒸し器


四万騎(しまき)農園に、大谷石でつくった大きな蔵があります。
その石蔵ギャラリーは、普段はがらんどうですが、ほんのときたま、画廊にもなれば、集会場にもなり、コンサート・ホールにもなります。

その蔵に、小林恒岳さんの日本画展を見に行きました。
平日に行ったのに、いつもは静まり返っているギャラリーが、たくさんの人で大盛況でした。


石蔵の、大きな梁です。


これは、別の建物の外壁ですが、昔牛(馬?)に引かせた鋤がかざってありました。


実際にこの農場で使われていた鋤たちなのでしょう。


四万騎農園の周辺は、見渡す限り栗畑です。
ここでは栗を栽培して、栗、栗のジャム、栗の煮たもの、栗の苗など売っていますが、その店舗のところに土器が二つ置いてありました。
ここの敷地から出たものだそうです。これは、ただの壺ではありません。


底に穴を開けてある、蒸し器です。


これは、ラオスの山地民であるモン人がくり抜いた、木の蒸し器です。


蒸し器の底には、穴が開いていて、その上に竹とラタンで編んだものが敷いてあります。
もち米を入れ、お湯を入れたお鍋の上に置いて蒸します。


土から出てきた蒸し器も、このように、竹の中敷きを使っていたものでしょうか。


お米や雑穀を蒸すなら、ちょっと取り出しにくそうですが、玄米だったのでしょうから、蓋がわりに石を置いたりすれば、よく蒸せて、重宝したことでしょう。

土器は、西方から来たと言われていますし、蒸すという方法そのものも西方から来たと言われています。
蒸し器を見ると、この地に住んでいた人たちの生活が、目の前に見えるようでした。







4 件のコメント:

  1. 大谷石だー!!懐かしいですよ、
    東京の石垣はほとんどが大谷石です。
    「浮石質凝灰岩」
    釘と金槌で穴を開けたり、飛び降りたり一日遊んでいましたからね。
     上京したとき採取、飾ってあります。

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  2. 昭ちゃん
    あはは、そっちにはありませんでしたね。このあたり、石を投げると大谷石に当たります(笑)。ただ、もう深いところしか掘れないようで高額になり、地震の後まだ修理されていない塀もありますし、取り壊して御影石(薄い貼りもの)でつくる家もあります。でも中には大谷石で直している家もあって「お金持ちなんだ」と思ってしまいます(笑)。新しい塀には使われませんね。昔は比較的安かったのでしょう。
    栃木に入ると大谷石の蔵が多くて、目があっちこっちときょろきょろしてしまいます。

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  3.  春さんさすが話題が広いですね、(拍手)
    正月うなぎの旨いしゃれた店に行きました。
    ガラス張りの床の間には松竹梅が大きく活けてあり何と三方は大谷石です。
     勿論張り合わせでしょうが感激で、タイムスリップしました。
     戦時中地下の巨大な砕石所は
    あたかも航空機組み立て工場のように宣伝に利用しました。
    「空襲なんかにびくともしない組み立て工場我にあり」ですね。
     戦後米軍が探したそうですよ。

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  4.  追伸
    こちらでは日田石(阿蘇凝灰岩)で
    石垣や山鹿灯篭などに加工されていますが、
    大谷石のちょっと青みがいいですね。

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