ウズベキスタンの刺繍布スザニで思い出しました。パレスチナの刺繍布を持っています。
二つの刺繍布には、イスラムという共通点があるかもしれませんが、もしかするとこれは遊牧民ベドウィンの刺繍で、イスラム文化とは関係ないかもしれません。
サテンステッチの埋め尽くした針目は、とても細かくて素敵ですが、地の赤い木綿布が色褪せ、ところどころ破れて、もうぼろぼろです。
スザニに必ず見られる唐草模様は見れらません。
東エルサレムのダマスカス門から旧市街に入ると、そこには小さなお店が並んでいて、パレスチナ人たちでごった返しています。
右へ左へと小路が迷路のように伸びていて、閉所恐怖症の人なら、「出られるかしら?」と、息苦しくなってしまうかもしれません。
旧市街には、お店だけでなく、モスクはもちろん、普通の住宅や学校などもあります。慣れないうちは自分が向かっている方向を見失って、途方にくれたりするものですが、すぐに慣れます。
骨董屋が並ぶ小路もあり、その中の一軒に、愛想のいいおにいさんのいるお店があります。以前、コーヒーをつぶすベドウィンの臼と杵を買ったお店です。
その店の前を通りかかると、暇を持て余している店主のおにいさんが、声を掛けてきます。
「さあ、入って入って」
では、ちょっとだけ見ようと入ると、
「まあ、座って、座って」
数々の骨董に囲まれた、おもちゃ箱のような空間に座ると、素敵なアラブ音楽は流れてくるし、いつ注文したのか、コーヒー屋の子どもがコーヒーを出前してきて、すっかり腰を落ち着けることになってしまいます。
骨董にまつわる話などを、コーヒーを飲みながら聞いていると、だんだん興味がわいてきます。
「う~ん、これ、もらっちゃおうかな」
という気になったら、おにいさんの作戦成功です。
もう昔のことで忘れましたが、この布も、そんな経緯で手元にあるのだと思います。
そのときは、多少色褪せていることにも、破れていることにも目をつぶって、値段の駆け引きも楽しんで、珍しいものに出逢ったと大喜びで買ってきたのでしょう。
そして、しばらく経った頃に、
「なんで、こんなきたないものを欲しがったのかしら?」
と反省することになります。
この布は、幅170センチ、長さ200センチと大きいし、色の褪せ方がむらで、そのまま飾ることはできません。といって切り刻んでどうするというあてもなく、処理に困ったまま、早幾年月が過ぎてしまいました。
スザニの展示では、刺繍の裏側も見せていましたが、裏は糸の始末がしていなくて、きれいではありませんでした。
それに比べると、パレスチナの刺繍は、裏もこんなにきれいです。「刺繍は裏もきれいに始末する」文化があったのです。
刺繍糸を草木染めするくらいなら、地布にもっといいものを使ったら、どんなに素敵だったでしょう。これでは、せっかくの刺繍が台無しです。
もっとも博物館に行くようなよいものなら、私には手も足も出ないし、旧市街の骨董屋に流れたりもしなかったので、お目にかかることもなかったでしょう。
心の中でぶつぶつ、愚痴の一つも言いながら、またしまいこんでしまいます。
0 件のコメント:
コメントを投稿