ショルダーバッグ一辺倒だった私が、久しぶりに籠バッグ、それも柔らかくてしなるもの使ってみたら、ことのほか使い勝手がよく、手放せなくなりました。
そこで、身体は一つしかないのに、もう一つ籠バッグを手に入れてしまいました。
岡山県蒜山のヒメガマで編んだ籠バッグです。
蒜山は「ひるぜん」と呼ぶらしいですが、私が小さい頃は、「ひるせん」と言っていました。もっとも、私が住んでいた倉敷は瀬戸内海の近くで、蒜山は山間部と遠く離れていましたが。
あのあたりの山は、だいせん(大山)、ひるせん、なぎせん(那岐山)などと、何故か「せん」と呼ぶ山がたくさんあるのが、子ども心に不思議なことでした。
蒜山のがま細工の歴史は古く、14世紀の南北朝の時代に、兵糧を運ぶための背負いかごをつくったのがはじまりと伝えられています。
かつて、プラスティックのなかった時代には、水をはじくヒメガマで、雪靴や蓑、笠、背負い籠など、いろいろな生活道具を編んでいました。
湿地に自生するヒメガマは軽く、美しい光沢をもっています。
ヒメガマを編むのに、シナノキの繊維からつくった小縄を使います。
シナノキの樹皮は初夏に伐採して、三、四ヶ月川に浸して表皮を腐らせ、繊維を取り出します。
それを細く割き、つないで撚って小縄にします。
麻、芭蕉、苧麻などの繊維の取り方、糸や縄のつくり方と似ています。
このシナノキの小縄の美しさが、がまの籠を格調高いものにしています。
野良仕事で使うなら、端の始末は、このスゲの籠のようにすれば十分です。
ところが、このがまの籠は、今ではおしゃれ用ということもあり、二重底で、補強も兼ねて端が見えないようにきれいに処理されています。
底から見ると、平織りに織ったものを綴じつけてあり、
中に一枚、別に編んだものを敷いてあります。
持ち手のつけ方も美しく、全体にとってもきれいな仕上がりになっています。
学生時代に、鳴子近郊の農家でわけていただいた稲わらの籠を持っていました。ところが稲わらは擦れるとささくれて、ぼろぼろとクズが落ちてきます。
ヒメガマは、まったくそんなことがなさそう、籠にするには稲わらよりずっとすぐれた素材です。
河口で海に近い倉敷のあたりでは、湿地もなく、がまも見かけませんでした。
生活に必要な竹かごなどは、「奥」と呼んでいた山間部、勝山のあたりでつくられたものを使っていましたが、各家庭の必需品であった「買いもの籠」は、イグサを縄にしたものを編んでつくられたものでした。倉敷付近では、盛んにイグサが栽培されていたからです。
畳は好きですが、私はどうもイグサ細工が、色も感触も好きではありませんでした。
もちろん、地域で使うものは地域でつくるのが基本ですから、倉敷まで蒜山のがま細工が運ばれてくることはありませんでした。
少し前に私もガマに魅了され、近くの湿地帯まで取りに行き、庭に植えていました。色々調べていると、岡山では昔その細工が盛んであった事を知り、その中でも蒲の綿で作った布団に興味深く、実物を見て見たいと思いましたがなかなかないようです。それを思い、綿の出来る時期に再び湿地を訪れました。穂の中には幼虫が産みつけられているので、それらを除き損ねた布団(蒲団)はもぞもぞと痒い思いをして寝たりしたのでしょうかね。
返信削除hattoさん
返信削除木綿綿がない頃はさぞかし大変だったでしょうね。日本の家屋は暑い夏を過ごしやすいようにつくられていると言いますが、冬は大変、とくに木綿綿が普及するまでは難儀だったことと思います。他の代用綿の綿入れを着こんで出かけた人がみんな凍え死に、木綿綿の綿入れの人だけ助かったという話も読んだことがあります。
また、イザベラバードの旅行記で、日本の子どもたちはみんな蚤やダニに刺されたところをこじらせて皮膚病になっていたという描写もあり、ため息が出ました。
でも、存外江戸時代の人に会って話を聞いてみると、「目に見えない放射性物質や化学物質で汚染されているあなたたちより、虫に刺されても私たちの方がずっといいですよ」と言われるかもしれません(笑)。
がま、このあたりにも生えていますが、寒い地方ではないので品質はどうでしょう。がまはとっても素敵、スゲよりも艶々しています。
こういう素晴らしい手仕事を見ると、作れない自分がもどかしくなります。手先の器用さは、時代の流れと共に喪失しつつあるのではないのでしょうか。草を編むのは夢の一つです。
返信削除mmerianさん
返信削除ご同様です。先日カラムシの繊維をとったら、皮が混じってちっともきれいじゃなく、乾かして、糸にしようと思ったのですが、裂いてみたら面倒で、早々にあきらめてしまいました。元々縄がなえないのを知っていましたから、諦めも早かったです(笑)。
よい手仕事と言うのは、先天的な器用さの上に、細やかさ、大胆さが備わり、そして数をこなしてやっとたどり着く境地なのでしょうね。いろいろな分野の職人さんが、「これでいいというところがありません。自分はまだまだ。生涯勉強です」とよく言いますが、なにかしら、入り口にでも辿りついてみたかった。
とくに、身近にある素材で「もの」をつくることは、最高のぜいたくで、最高の素晴らしさだと思います。