朝鮮の米とぎ鉢 |
轆轤(ろくろ)は、紀元前4000年頃にメソポタミアで発明され、日本では平安時代から使われはじめたとされています。
当初は、回転板を直接手で回していましたが、鉄器時代に、回転台を、軸棒ではずみ車を兼ねた重い円盤につなぎ、足で下の円盤を蹴って回転を与える轆轤がつくられました。それによって両手が使えるようになり、回転速度も増し、轆轤技術は一気に向上しました。
そして、近代になってからは、人力ではなく、発動機や電気を動力とするようになりました。
木を轆轤(ろくろ)で挽く技術は、ヨーロッパ、アジアなどのいろいろな地域で発達してきました。
現代では、マトリョーシカをつくり続けてきたロシアが、なんといっても轆轤技術の頂点に立っているのではないかと思いますが、どうでしょう?
このヴェトナム製のマトリョーシカは、四、五年前に買ったものですが、手に入れてしばらくすると、一番大きいのがぴちっと閉まらなくなりました。無理をすれば閉まりそうですが、そうすれば二度と開けられないかもしれません。
ロシアでは、マトリョーシカを自動で挽く機械もあるそうですが、いまだに手で挽く人も多く、しかも大量生産されるマトリョーシカのほとんどは、年月がたってもゆがみません。
ロシアのマトリョーシカは、上部を持って持ち上げられるほどしっかり組み合わさっており、しかも力を入れずに簡単に開閉できるのですから、轆轤製作全般に関する、ロシアの技術の高さがうかがえます。
この写真は、昭和14年(1939年)ごろ、宮城県鳴子の木地師、伊藤松三郎さん(1894-1976)が、娘さんが綱取りをする「二人挽き」で、こけしをつくっている写真です。その後も、松三郎さんは、動力を使わないでこけしをつくり続けました。
私が東北を旅して、伊藤松三郎さんのこけしを手にした1960年代には、動力を使っていない木地師さんは、松三郎さんだけになっていました。
松三郎さんは動力を使わない木地師さんの、最後のお一人だったのです。
もっとも、こけしがつくられはじめた、1800年代の初頭には、誰も動力を使っていませんでした。
その昔、轆轤技術はどのように伝播し、地域間でどのように影響しあったのでしょうか?
木は、金属、陶磁器、ガラス、石などに比べると朽ちやすいので、古いものは残っておらず、近年研究が進んではいますが、はっきりしたことはまだまだわからないようです。
『インド 沙漠の民と美』(岩立広子編、用美社、1984年) |
轆轤で挽いた棒は、美しく彩色され、組まれています。
『世界の木工文化図鑑』(ブライアン・センテンス著、東洋書林、2004年) |
16世紀には、グジャラートとイギリスと、どちらにもすでに轆轤があったものと思いますが、二つはお互いに影響しあっているような気がしてなりません。
それにしても、お互いに、どちらがより影響されたのか、興味深いものです。
かつて、安価なおもちゃの多くは轆轤を挽いてつくられたものでした。
がらがら、子ども用そろばん、鉄棒人形、だるま落とし、独楽、けん玉などなど、子どもの身近にはいろいろな轆轤でつくったものがありました。
写真のがらがらと笛は日本のもの、突起を押したり引いたりすると鶏が互い違いに餌をついばむおもちゃはロシアのもの、ガネーシャはインドのもの、赤ちゃん用のベッド(クリブ)につけるがらがらは、息子が赤ん坊の時にいただいたものなのではっきりわかりませんが、ドイツ、あるいは北欧のものと思われます。
また、一見轆轤でつくられているようには見えないドイツの動物たちも、轆轤でつくられています。
『世界の木工文化図鑑』(ブライアン・センテンス著、東洋書林、2004年) |
お盆、お椀などの食器、茶びつ、たかつき、鉢、椅子の足などなど、見回せばたくさんの轆轤細工を見出せます。
轆轤でつくった小さな蓋ものたちです。
一番奥のマトリョーシカと手前の豚はヴェトナム製、奥の二つはカンボジア製、赤く彩色してある、塔のようなのはインドの紅入れ、真ん中のくす玉模様は輪島塗り、その右は中国の漆塗り、手前の小さな箱二つはタイ製で、一つはラタンを巻いてあります。
しなやかな木、固い木、柔らかい木など、いろいろな木が使われています。
古代ギリシャやローマの建物も初期には木でつくられたとか、今ではすべて消えてしまっています。また、時代は下がりますが、カンボジアのクメール文化の建造物も、建設に適した木が枯渇するまでは木でつくられていました。
アンコール・ワットのあちこちにある、そろばん玉のような飾り柱も、木でつくったものの名残と言われています。
今でも木工に優れているカンボジアの人々は、その昔から轆轤を挽くのも優れていたことでしょう。
おはようございます。
返信削除ろくろのお話、とても興味深いし、たくさんの写真も素敵です。ありがとうございます。
(今朝方ちょうど、ベトナムや中国のマトリョーシカを片づけがてら見てたところで…(^^))
写真のドイツの木のおもちゃはドーナツ型の木をカットしてたって…へー!…驚きでした。
昔、義母が「うちはもともと全山御免の木地師だった…」と話していたことがあり、当時は興味もなかったので聞き流していて、その実の息子たちはさらに興味もなかった様子で、そんなことは聞いたこともないらしいです…。本当に昔々の話らしいです。
もっとよく聞いておけばよかった…。まあ、そちらの御先祖様とは血のつながりはないですが(^^;)。
karatさん
返信削除ヴェトナムのマトリョーシカって、いろいろあるんですか?
黒いのは昔のことで忘れましたが無印良品で手に入れたような、だとすると、無印の方が発注したんだなと思っていました。ヴェトナム人は何でもできますから(笑)。
だんなさまのご先祖が木地師さんっだったって、お椀とか挽いていたのかなぁ。素敵ですね♪全山御免とは適した木があればどこの木を切ってもいいということ、きっと光がまんべんなく当たった木とか、岩場で根を伸ばすことができないでいじけて育った木とか、ものによって木を選んだのでしょうね。
日本ではケヤキなどゆがみやすい木も、挽きものに使うのはどうしてなのでしょうね?昔のお椀とかお櫃はたいていゆがんでいて、泣く泣く捨てました。写真の輪島も正円ではないですよ(笑)
あー、ヴェトナムのはやはり黒いもので、無印良品で買ったもので、チョークがついてました。白いチョークで描きましょう、って感じです。
返信削除中国のはサンタクロースとか東方の三賢人とかのクリスマス系。
かたくて重い木を使ってますね。開閉が気持ちよくなく、あと形が好きじゃない(^^)。
karatさん
返信削除ありがとう。同じものだったんだ。そういえばチョークもついていましたね。すっかり忘れていました。豚の貯金箱にも、チョークがついていたかしら?
それにしても、ロシアの白樺は素敵ですね。
家にある木製のキリンは輪切りで作られていたんですね。アイデアに感心しました。家にひとつ、母が独身の時に買ったと思われる小さなこけしがあります。どこで買ったものか聞いておけばよかったなぁ。主人の祖父は馬車の車輪を作っていたので時折主人がその話をします。部分によって固さが違うので数種類の木材を使っていたとか、木の見極めと技術が必要だったとか、言っていました。先日のチラシにクリスマスマトリョーシカが載っていましたよ。サンタさん、サンタさんの奥さん、トナカイ、ペンギン、プレゼント作りのこびとさん、でした。
返信削除Bluemoonさん
返信削除ドイツの動物、木、人など、厳密には厚みが違っているはずですが、元が大きいのでしょうね。ほぼ厚みも一定に感じます。よく考えてつくってあるものです。
ご先祖が馬車の車輪つくりですか?素晴らしい!確かに一番外の木は硬く、スポークなどはもっと加工しやすい木だったのでしょうね。タイとビルマで、牛車や馬車に乗った(乗せてもらった)ことがあります。木の車輪で、舗装していない道を行く時は、あたりまえだけどめちゃくちゃ揺れました。
ローマの馬車道の遺跡は、車輪のところの石が減っています。あれが、鉄の輪とかつけないで、木で石が減ったならすごいですね。車輪はものすごく力のかかるところだから、経験がものを言ったでしょうね。
サンタ・マトリョーシカ、ペンギンがいるならロシアのものではないですか?なぜかロシア人はクリスマスのペンギンが好きなようです。あと女性は孫娘の雪娘ではないでしょうか?まあ、中国がそれを真似るのは簡単なことだし、中国製だとしたら、サンタの奥さんかもしれませんが(笑)。
日本の友達から届いたポスターの芯に入っていたのは、いろんなチラシでした。チラシの中に、サンタクロース、雪だるま、トナカイ、クリスマスツリーのマトリョーシカが載っていました。ここにもマトリョーシカ!町のチラシ掲載のマトリョーシカを買ってきました。お察しの通り、中国製です。サンタの奥さん、メガネをかけてクリスマスプディングを持っています。日用品同様クリスマス商品も大方が中国製です。これは違うはずと手にしたヨーロッパ風景の缶に入った英国レシピクッキーも中国製でした。
返信削除Bluemoonさん
返信削除世界中が中国のお世話になっている時代が長く続いていますね。確かに、クリスマス雑貨をネットで見ると、「ドイツ企画中国製」などというのが多いです。いかにもヨーロッパの古い時代のもののような麦わらのオーナメントなど、中国でつくられています。もちろん、我が家の電動大工道具はほとんど全部中国でつくられたものです。
もし、突然市場から中国製品が姿を消したら、世界中大混乱でしょうね。
ちなみに、我が家のデンマーク製のお鍋、なおしてもらおうと連絡したら、「今は全部中国でつくっているし、なおしはしていません」ということでした(笑)。