2014年11月14日金曜日

道端の石仏たち


いつも車で通り過ぎる道からちょっと奥まったところ、幅一間ほどの小さな屋根があることに気づきました。
戸外のお手洗いにしては家から離れているなぁと思いながら、通り抜けざまに振り返って見ると、屋根の下に石仏らしきものが見えました。
御堂でした。

もう十年以上も、その前の道を通っていたのに、両脇の木で隠れていて、全然気がつきませんでした。
後日、車を停めてみました。


一番左は、お地蔵さまかと思いましたが、右手に三鈷杵を持っていて弘法大師でした。
家に帰って写真を見ると、台座に「六十一番弘法大師」と彫ってあるのが読めました。かつては、八郷にも、八十八ヶ所めぐりがあったのでしょう。


その隣はどなたでしょう?
試しに、後ろの柵に垂れさがっている布を開いてみると、十九夜尊と書いてありました。安産の神さまです。


左が子安神、やはり安産と子育ての神さま、そして右が地蔵尊、亡くなった子どもたちが安らかに過ごせるようにと願いを込めたものです。

こうして見ると昔は、子どもが健やかに成長することが、今よりずっと難しかったのだろうと想像できます。
みんなで子どもの成長、子どもの安寧を願っていたのです。 
 

雨の中で、お地蔵さまたちは静かにたたずみながら、来し方行く末を見据えていらっしゃいました。





4 件のコメント:

  1.  忘れられたような道祖神に花や線香がお供えしてあるとうれしくなりますね、
    旧道にある塞の神近くに「さば大師」がひっそりとあります。
    弘法大師ゆかりは多いですね。

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  2. 昭ちゃん
    石仏なのに、立派なお堂をつくっているなんて、大切にされていた証拠ですね。しかし、八郷に石仏の多いこと多いこと。他のところもみんなこうだったでしょうか?
    興味深いのは馬頭観音と軍馬供出の慰霊碑もいっぱいあることです。馬頭観音は観音菩薩の変化神の一つだと思うのですが、馬頭観音碑が「村の馬のお墓」あたりに、軍馬慰霊碑と一緒に立っていたりすると、あららと思ってしまいます。もしかして、私の見方が間違っているのかな?
    かつて農耕に、関西では農耕牛が、関東以北では農耕馬が使われてきました。もちろん牛は軍牛として供出されませんでしたが、関西以西には牛の碑というのはないでしょうね。関東以北に馬の碑がいっぱいあるのは面白いことです。
    もっとも、昔のお百姓さんはかわいい馬を軍に取られて、さぞかし泣いたことでしょう。

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  3.  何事も「徴用」の一言です。
    門司港駅(旧門司駅)には大陸に渡る軍馬に飲ませた水の施設が残っています。
    兵隊さんは帰っても軍馬は帰っておりません。

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  4. 昭ちゃん
    そうですね。馬は一匹も帰ってこなかったでしょうね。この地球はいろいろな生物の屍の積み重ねですが、人は増えたのに、牛馬は減る一方でしたね。
    このあたりの有機農業をやっている人で農耕馬を手に入れるのを悲願としている人がいます。農業には馬がいて当然なんじゃないかって。
    そんな暮らし、もう少し若かったらしたいとも思うけれど、「どこにも行けない」とかなんとか、いろいろ気が散っちゃって、若くてもダメだったでしょうね、きっと(笑)。

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