2015年2月26日木曜日

今年の犬供養


抱児観音の前を通りかかると、新しい三つ又の木をお供えしてあるのが見えました。
昨年の三つ又には、「二月に新しくした」と記してありましたが、今年も二月に子安講を開いて、三つ又を新しくして、犬供養をした模様です。


左側の枝、
 

右側の枝。
そして、三つ又の下の部分には、今年は立てた日づけは記してなくて、集落名(子安講名)が記してありました。


昨年もそうだったけれど、三つ又には紙を結びつけてあります。


新たな発見(?)がありました。右から四番目の背の低い石像は、観音さまのお顔でした。

 
そして、右から二番目の、抱児観音のお隣のやはり背の低い石像は、上がなくなっていますが、右の方が抱っこされている赤児の頭で、観音さまの手があって、その左下に赤児の足があるように見えます。

日本の石は腐ると聞きました。
湿気が多いので、地中にあるとき微生物などが住みつき、中へ中へと入って石にひびを入れ、そこに水がしみ込んで、さらにひびが大きくなるそうです。
ヨーロッパでは、トンネルを掘ったら掘りっぱなしにしますが、日本では、浸み出てくる水を逃がす対策が、大きな課題になるように、ほとんどの石に水が浸み通っているそうです。
そんなひびの入った石は、入った水が凍ったり、気温の変化や、衝撃で割れて行きます。

きっと、割れてしまった石像を、捨てるに忍びなくて、祀ってあるのでしょう。
ただ、この二つが一つのものだったら、接着しないまでも、離れて立てないだろうから、別のものでしょうか。
残っている部分も、頭の方も赤児の方も向かって左が長く、その間の部分が崩れたと考えるのもおかしいような気がします。


二月と言えば、このあたりの人たちは、旧正月を「小正月」と言ってお赤飯を炊きます。
三つ又を新しくするのも、旧正月と関係あるのでしょうか?

さて、ここから数百メートル離れたところに、八郷でもう一ヶ所犬供養をしているところがあります。そこは、昨年の四月には新しい三つ又が立っていましたが、夏ごろには草に覆われて、三つ又も立っていませんでした。


そこにも、新しい三つ又が立っていました。しかも、古いものが足元にたくさん転がっていました。


昨年は石の祠のすぐわきに建ててありましたが、今年立てたところは、祠から三メートルも離れています。いったいどういうことでしょう?
しかも、新しく立てた足元に古い三つ又をわざわざ集めている、集めたにしてはぞんざいに散ばせているというのも、もしかしたら何か意味があるのでしょうか?
推測ばかりしていないで、そろそろ誰かに聞いてみる方がよさそうです。


それでも、祠の前には、ご幣だったのでしょうか、何か供えてありました。






7 件のコメント:

  1. こんにちわ。
    犬供養、って初めて聞きました。
    ネットで調べたら、一つだけ出てきて、なるほどなー。知らなかったです。
    世の中知らないことがいっぱいです。
    ブログのリンクも次々クリックして読ませていただきました。調べたり本にしたりしてる方がいるのですね…。
    その年の当番が枝ぶりのいい三つ又の枝を探しておく…というところに引っかかって、この辺ではそれも難しいな…と悩んだりもしましたが(^^;)。

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  2. karatさん
    昔は日本でも、子どもを五歳まで育てるのが難しかったので、いろいろなものにすがったのでしょうね。子安講はとっても盛んだったようです。
    犬供養は以前hattoさんが調べてくださって、限られた県でしかやっていないようです。近くに住んでいるIさんも資料をくださいました。八郷内では2集落のみ、北条という、近くの古い町には、そこここに犬供養の跡が残っていますが、お話をうかがった方は、「私の集落は数年前にやめた」とおっしゃっていました。
    八郷のは、誰か千代田とか北条とか盛んな地域からお嫁に来た方が持ち込んだのではないかと思っていますが、今いる方たちはずっと前からやっていたと知っているだけで、由来とかはわからないようです。
    川を隔てた二つの集落の温度差を知りたいと思いますが、なかなか時間が取れなくて。きっと、お一人だけ掃除したり草取りしたり地面倒見のいい人がいると言った単純な理由だとは思いますが。

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  3. よくご存知ですね。
    腐るという表現は昔からありますね、
    外国のトンネルまで。
    岩石学の分野まで興味が、、、
    楽しいであすね。

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  4. なんか英字を打ち込まないうちに
    送信が、語尾が字余り「あ」

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  5. 昭ちゃん
    それは講座に参加して知ったのですよ。写真を見せていただきましたが、西洋の地下鉄は掘りっぱなし、壁が岩でした。その池田先生は、石の標本できれいなのだけじゃなくて、ぼろぼろのも見せた方がいいと、持っていらっしゃいました。このあたりの山がなだらかなのは、中で岩が崩れているからですって。筑波山だけちょっと尖っているのは、比較的中の岩がまだ腐っていなかったからだったかな?悪い生徒で、何もかもうろ覚えですが(笑)。
    あと、昔の灯篭なんかが風情ある姿になっているのは、石工がそんな崩れるような石をわざわざ選んでつくったからだとも聞きました。

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  6.  研究の方は専門の方にお任せして、
    幅広く楽しみましょうね。
    会話もご馳走と考えておりますので。
    (笑い)
     

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  7. 昭ちゃん
    同感です♪
    まあ、一つでも頭に残っていれば、よしとします(笑)。
    でも、土石流の実験は納得しました。あるところまで全然土(砂)が動かず、一定の水分含有量を越えたら、一気に崩れました。あと砂浜が、防波堤に比べて波を吸収するというのもおもしろかったです。高い防波堤を立てても、波は増幅されていました。

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