女の子に関するおもちゃで、昭和の初期でもなく、後期でもなく中期、つまり私の子ども時代のおもちゃを、一ヶ所に集めてみました。
ところが、これが難しい。
日ごろ、朝の連続テレビ小説の時代考証の間違いを、いつも見つけてはせせら笑っているくせに、いざ自分でやるとなると、手持ちのものも限られていて、けっこう苦心しました。
戦前のもの、戦後すぐのものなどは、混ぜなかったつもりですが、十歳年が離れている妹たちの時代のものはいいとして、息子の時代のものなども混じってしまいました。
それに、ぬり絵、うつし絵、紙の着せ替えなど、当時の女の子たちの定番の「紙もの」はまったくありません。
おもちゃの籠たちと、麦わらを貼りつけた箱。
バケツはブリキのものと、轆轤で挽いたものです。
羽子板は、私の子ども時代の絵はどんなだったのでしょう?
これらは昭和30年代の感じがします。漫画っぽくないから、そう新しいものでもないでしょう。
羽子板の裏には絵が描いてなくて、羽根は裏で打ちます。羽根つきをして遊ぶと、ムクロジを使った羽根の、当たった痕が、桐の羽子板の裏に無数につきました。
そして、手前の絵をプリントした桐の箱は、たいてい誰もが持っていた、小さな女の子たちの宝物入れでした。
入っていたのは、交換した、小さく切ったうつし絵、きれいな模様のあるちり紙などでしょうか。
郷土玩具の島根県の松江姉さまと、秋田県の中山姉さま。
これは昭和中期の女の子のおもちゃに混ぜていいかどうか迷うところです。
私も、ネギ坊主やほおずきで姉さまをつくって遊びましたが、ときおり、誰かからお土産にいただく、これとよく似た姉さまでも遊びました。
お土産として、全国どこにでもあったのかもしれません。
一番後ろのハードセルロイドのキューピーが、ジャスト私の時代です。
その前の、薄いセルロイドの女の子たちは、少し時代が遡るかもしれません。
キューピー同様、おかっぱ髪の女の子のハードセルロイド人形も、とても一般的でした。
セルロイドの小箱は、母の子ども時代以前から、息子たちの子ども時代まで、長く女性のかたわらにあったものでしょう。
赤いのは琴の爪入れ、犬の模様のは、母の裁縫箱に入っていた針入れです。もともとは、妹たちの学校教材の裁縫箱に入っていたものかもしれません。
その右の練物の花はじきは、大正9年から昭和40年代までつくられたもので、子どもが飲み込んでも大丈夫なようにジャガイモなどのでんぷんを固めてつくられています。
妹たちは、花はじきでよく遊んでいましたが、これだったのでしょうか?市販しているものではなく、用済みの学校教材を家に持って帰ってきたもので遊んでいたような記憶があります。
すでに、チェーンリングもあったと思いますので、妹たちの花はじきは、もしかしたらプラスティック製だったかもしれません。それとも、プラスティックのチェーンリングは息子たちの時代?
記憶が錯綜しています。
花はじきは、一つ一つ型抜きしてあります。
美しい!
すっかり日焼けして、硬化している一番大きいペコちゃんは、息子たちが小さいころ我が家にあったものです。時代は昭和で言えば40年代から50年代のものでしょうか。
その他の、ペコちゃんポコちゃんは、もっと新しいものです。
轆轤挽きのティーポットは昭和30年代(?)のもの、フルタ製菓の「いろいろ玉子」は昭和40年代から50年代のものです。
キューピーの浦島太郎の絵のブリキのお皿は、もしかしたら戦前のものかもしれません。
おはじきと石けりで見えませんが、金魚模様のブリキのお皿です。
石けりの玉は、ラスター加工されていない、私が子どものころ遊んだものを選びました。
再生ガラスの、青味がかったのがもっとも一般的でした。
あとで、お手玉を思い出して、加えました。