2015年3月31日火曜日

少女の友

先日、矢中の杜の、いいじまさんの乙女コレクションがおもしろかったので、真似てみました。
女の子に関するおもちゃで、昭和の初期でもなく、後期でもなく中期、つまり私の子ども時代のおもちゃを、一ヶ所に集めてみました。


ところが、これが難しい。
日ごろ、朝の連続テレビ小説の時代考証の間違いを、いつも見つけてはせせら笑っているくせに、いざ自分でやるとなると、手持ちのものも限られていて、けっこう苦心しました。

戦前のもの、戦後すぐのものなどは、混ぜなかったつもりですが、十歳年が離れている妹たちの時代のものはいいとして、息子の時代のものなども混じってしまいました。
それに、ぬり絵、うつし絵、紙の着せ替えなど、当時の女の子たちの定番の「紙もの」はまったくありません。


おもちゃの籠たちと、麦わらを貼りつけた箱。
バケツはブリキのものと、轆轤で挽いたものです。


羽子板は、私の子ども時代の絵はどんなだったのでしょう?
これらは昭和30年代の感じがします。漫画っぽくないから、そう新しいものでもないでしょう。
羽子板の裏には絵が描いてなくて、羽根は裏で打ちます。羽根つきをして遊ぶと、ムクロジを使った羽根の、当たった痕が、桐の羽子板の裏に無数につきました。

そして、手前の絵をプリントした桐の箱は、たいてい誰もが持っていた、小さな女の子たちの宝物入れでした。
入っていたのは、交換した、小さく切ったうつし絵、きれいな模様のあるちり紙などでしょうか。


郷土玩具の島根県の松江姉さまと、秋田県の中山姉さま。
これは昭和中期の女の子のおもちゃに混ぜていいかどうか迷うところです。
私も、ネギ坊主やほおずきで姉さまをつくって遊びましたが、ときおり、誰かからお土産にいただく、これとよく似た姉さまでも遊びました。
お土産として、全国どこにでもあったのかもしれません。


一番後ろのハードセルロイドのキューピーが、ジャスト私の時代です。
その前の、薄いセルロイドの女の子たちは、少し時代が遡るかもしれません。
キューピー同様、おかっぱ髪の女の子のハードセルロイド人形も、とても一般的でした。


セルロイドの小箱は、母の子ども時代以前から、息子たちの子ども時代まで、長く女性のかたわらにあったものでしょう。
赤いのは琴の爪入れ、犬の模様のは、母の裁縫箱に入っていた針入れです。もともとは、妹たちの学校教材の裁縫箱に入っていたものかもしれません。

その右の練物の花はじきは、大正9年から昭和40年代までつくられたもので、子どもが飲み込んでも大丈夫なようにジャガイモなどのでんぷんを固めてつくられています。
妹たちは、花はじきでよく遊んでいましたが、これだったのでしょうか?市販しているものではなく、用済みの学校教材を家に持って帰ってきたもので遊んでいたような記憶があります。

すでに、チェーンリングもあったと思いますので、妹たちの花はじきは、もしかしたらプラスティック製だったかもしれません。それとも、プラスティックのチェーンリングは息子たちの時代?
記憶が錯綜しています。


花はじきは、一つ一つ型抜きしてあります。
美しい!


すっかり日焼けして、硬化している一番大きいペコちゃんは、息子たちが小さいころ我が家にあったものです。時代は昭和で言えば40年代から50年代のものでしょうか。
その他の、ペコちゃんポコちゃんは、もっと新しいものです。


轆轤挽きのティーポットは昭和30年代(?)のもの、フルタ製菓の「いろいろ玉子」は昭和40年代から50年代のものです。


キューピーの浦島太郎の絵のブリキのお皿は、もしかしたら戦前のものかもしれません。


おはじきと石けりで見えませんが、金魚模様のブリキのお皿です。
石けりの玉は、ラスター加工されていない、私が子どものころ遊んだものを選びました。
再生ガラスの、青味がかったのがもっとも一般的でした。


あとで、お手玉を思い出して、加えました。






2015年3月30日月曜日

新しいアイロン


30年ぶりにアイロンを買いました。
D・B・Kというドイツモデルですが、もちろん中国製です。
 

霧吹きで湿らせてからアイロンをかけるのに慣れているので、別にスチームアイロンでなくてもよかったのですが、いまどき、というか30年前でも、スチーム機能のついていないアイロンは、なかなか売っていませんでした。


この古いアイロン(ナショナルNI-521AF)を買った時も、確かスチーム機能がついていないのをさがしまわったような気がします。


買い替えなくてはならなかった原因は、このぼろぼろになったコードカバーです。
ずいぶん前に、布で補修したところもありますが、もう手の施しようがなく、コードは傷んでないとは思いますが、事故があったらとちょっと不安でした。


扇風機でさえ、古い機種は火を噴いたりするのに、熱くなるアイロンで火事など起こしては、目も当てられません。


手になじんだ古いアイロン、名残り惜しいけれど、安全を考えるとしかたありません。


さて、先日、昭和の建物「矢中の杜」に行ったとき、女中部屋の机の上に古い電気アイロンが置いてあるのが見えました。
その部屋は、細々とした道具などを飾ってあるので立ち入り禁止の紐が張ってあって、入ることはできず、遠くからの写真ですが、母が昔使っていたアイロンによく似ています。
母のアイロンも、古いものはこのように、本体とコードが別々になっていたと記憶しています。

あれって、コードレスで使うための知恵だったのか、あるいはただ安全のためだったのか、それとも一体でつくる技術が足りなかったのか、その当時は考えてみたこともありませんでした。
いったい、何だったのでしょう?





2015年3月29日日曜日

少女のおもちゃ

3月28日、29日と、北条の「矢中の杜」で「御殿まるごとマーケット」というイベントをしているとの案内をいただいて、行ってみました。
「矢中の杜」は、建材の開発で財をなした矢中氏が、昭和初期、戦前から戦後にかけて建てた家で、今はNPO法人「矢中の杜の守り人」の方たちが管理し、毎週土曜日に公開しています。

さて、その屋敷の中で市を開く試みは、古本屋さん、はんてん屋さん、洋服屋さん、帆布の鞄屋さんなど、部屋ごとに出店し、庭では藍染めの体験もできたりと、公開日とは違う賑わいを見せていました。
中で、私の目を最も楽しませてくれたのは、廊下のような、控えの間のようなところのガラスケースにさりげなく飾られていた、昭和中期のおもちゃたちでした。


こんなおもちゃは、ここでボランティアをしているいいじまさんのものに違いありません。
たくさんのお客さんをかき分けて今来た廊下を戻り、いいじまさんをさがしました。
「あのおもちゃは、いいじまさんのものでしょう?」
「そう、私のもの。あそこが寂しかったから飾ってみたの」
やっぱりそうでした。


これは、昨年の7月に、「てぬぐい展」をやっていたときの、誰もいない静かな矢中の杜です。
 

そのときは、ご近所で集めた、その昔は何かにつけて配られたてぬぐいを展示してありましたが、それに合わせて飾ってあった、てぬぐいをかぶったお人形たちは、全部いいじまさんのコレクションでした。

今回は、「御殿まるごとマーケット」と同時開催している、「乙女のつくば道」に合わせて、女の子のおもちゃや、お土産ものを飾ったのだそうです。


「ままごとセットは、とくにかわいかったぁ」
出回りはじめたプラスティックの色がかわいいし、羽釜(お釜)が、時代を感じさせます。
「あれはね、私が小さい頃遊んだものなの」
なんと、大切に持っていたのでしょう!
おもちゃに関心を失っていた、中学、高校時代に、私の数少なかったおもちゃは全部失われてしまいました。


人形製作キットは使ったことはありませんが、人形づくりは顔と髪の毛で苦労しました。
あっ、首も手足もみんな苦労しましたが。


紙の着せ替えは、美智子さまものが中心に飾ってありました。
 

「くび替え」という遊びがあったなんて、全然知りませんでした。
好きな首を切り取り、自分で身体や服をつくって遊ぶのだそうです。


ガラスケースには、乙女の夢がいっぱい詰まっていました。
「いいじまさんのコレクションは女の子ものが中心なの?」
「そうでもないかな。猫とかテディーベアとかもあるんだけど」
猫のコレクションも見てみたいものです。


下の段は講談社の絵本。
私も、子ども時代に何冊か持っていましたが、もちろんとっくに失われています。


私の周りには、おもちゃに関心を寄せる人はほとんどいません。
そんな中で、いいじまさんは、稀有な存在です。
いつかコレクションの全容を見せていただきたいものです。もっとも、こんなに保存状態がいいのだから、普段は箱に入れてしまっているのかもしれません。

追記:


hattoさんのコメントにありました、お猿の戸の詳細です。


お猿の戸を反対側から見たところ。


部屋の中の襖。
京都から取り寄せたのだったかしら?


襖の模様は、とっても素敵でした。






2015年3月27日金曜日

八郷暮しの実験室で

 
ジンバブエのジョンの、八郷滞在最後の訪問先は、桜のつぼみもほころんでいる、八郷暮しの実験室でした。
暮しの実験室には七人の専従(二名は研修生)がいますが、おりしも、女子高校生と引率の先生たち12人の体験学習受け入れや出荷などで大忙し、手が足りなかったので、通訳がてら私も残って,、一緒に見学させていただきました。
何度も来たことがあるのに、畑や畜産場などを見せてもらうのは初めてでした。
  

豚はバークシャーの種豚や、ミッド・ヨークシャーの母豚、その子どもたちの肉用の豚などいましたが、おもしろかったのは、ヴェトナムあたりの在来種らしい豚が、勝手にやってきたという話でした。
ある日、雄雌二頭、豚舎の周りでうろうろしていたそうです。
Sさんの話では、ミニ豚ブームが過ぎ、行き場のなくなった豚をブリーダーか誰かが近くの山の中に捨てたところ、豚の匂いにつられて、二匹が暮しの実験室まではるばるやってきたのではないかということでした。ちょっと小型の、いかにも武骨な豚です。
そのヴェトナム豚とミッド・ヨークシャーをかけ合わせると、生まれた子豚の中には、右にちらっと見えているような白黒ぶちの豚が混じるそうでした。

日本の法律では、豚の屠殺は定められた屠殺場でしかできません。そのため、屠殺は外注していますが、豚は丸ごと引き取って、暮しの実験室の加工室で加工するとのことでした。
豚の顔の皮を食べるのが好きな私は、顔をどうしているのか関心のあるところです。
ところが、Sさんのお話では、どうやっても顔の毛の処理ができない、抜けないし剃っても毛が残るので、残念ながら皮ははいでいるとのことでした。
タイなどでは、豚の顔を皮ごと茹でて食べます。そんな地域では、毛を処理するのに薬品を使っているのではないかとのことでした。
どんな薬品を使っているのでしょう?
全然知りませんでした。 


健康そうな大きい山羊は、クズ小麦を蒔いて出た芽をもらって食べています。


ポニーもいました。
 

トマト用のハウスでは、春菊、ホウレンソウ、レタス、小松菜などが元気に育っていました。


南アとジンバブエにパーマカルチャーの農場を持っているジョンが特に関心を示したのは、かつての湿田に掘られた池でした。
フナなど魚を捕まえて来て放流する暇がないとはSさんの話ですが、魚はすでにいるようで、オオサギやらカモが楽しく生息していました。
用心深いオオサギは、私たちが近付いたため、後ろの松の木の上に逃げているところです。


次の日が出荷だとのこと、二泊三日の体験学習にきている高校生たちは、サトイモを洗っていました。
その横で、ジョンと私は、ジャガイモの芽を取って売りものになる大きいのと、ならない小さいのに分けたり、人参をクズとそうでないのに分けたりのお手伝いをしました。
ジョンが、引率の先生に、生徒たちは農民になるつもりかと聞きましたが、先生のお話では、たぶん誰も農民にはならないだろうとのことでした。

 
高校生たちの一部は、小麦粉をこね、伸ばして、さらに思い思いにトッピングして、ピッツァつくりに取り組んでいます。


ジョンも参加して、つくりました。


ジョン作のピッツァ。


燻製の豚肉は暮しの実験室でつくったもの、他の材料もほとんどここでつくったもので、トマトソース、マヨネーズ、ホワイトソースなども自家製です。


さて、ピッツァは20個、もっとできたでしょうか。


それを石窯で焼いてもらいます。
ガラス扉の奥は加工室、肉を切り分けている人の姿が見えます。


石窯の上には、屠った豚たちの頭がい骨が置いてありました。
一年に一度、まとめて焼いて供養しているそうです。


ここでは、石窯の中の薪は取り除かない方法で、ピッツァを焼いていました。


ほどなく、焼き上がりました。
特においしかったのが、薄切りのレンコンのトッピングでした。しゃりしゃりしておいしい!
菜花+マヨネーズ、ジャガイモ+燻製肉など、どれも美味でした。


二泊三日の体験ツアーの女子高校生たちも大満足、明日には帰るそうです。


昔はいざ知らず、今では、スマホで写真を写すのがみんなの共通言語です。


さて、グーグルマップはすごい!
ジョンの南アフリカのプレトリアの農場、ジンバブエの農場、彼の生家など、全部たちどころに見ることができました。
「敷地のこのあたりに、池を掘りたいんだ」
そんなところまで、しっかり見えます。


ジョンの小学校も見ました。家から8キロくらいの位置にあり、毎日歩いて通ったそうです。
グーグルマップさえあれば、世界のどこに行っても寂しくない、でしょうか?