縁あって、我が家にお運びいただいた、瀬戸の招き猫です。
「いやぁ、かわいいなぁ」
前垂の豪華さ!
赤絵と金彩は融点が違うので、もしかしたら素焼き、本焼きに加えて、そのあと二度窯に入れて焼いているのでしょうか?
手が込んでいます。
大きさの同じ猫が二匹揃うと、可愛さ倍増以上です。
あれっ、手の挙げ方が違います。同じ窯ではなかったのでしょう。
後ろ姿もいいなぁ。
華やかな多色の招き猫と言えば、瀬戸と並んで九谷もありました(あります)。
でも、不思議(というほどのこともありませんが)、私は九谷焼の招き猫に惹かれたことがなく、値段が高いこともあって、我が家には一匹もいません。
病室より失礼いたします。
返信削除先立っての戦前の豪徳寺の招き猫のお手本について未だどこにあるか、実物の側面背面底、たらいのような部分の配色などわからないことばかりです。でも空想ですが、オリジナルの横座り今戸型でもなく、明らかに西日本からの招き猫の影響下でのモデリングであることは確かなので、昔の西日本の招き猫の人形で近いものから想定して作ればよいかも、と思ってます。うちにも瀬戸か有田かの「かんかん人形」の小さな招き猫があります。よくできているな、と思う半分、今戸焼を駆逐した勢力の子だという意識もあります。
いまどきさん
返信削除どうか、ごゆっくり静養してくださいね。一日も早いご回復をお祈りしています。
西日本の招き猫が、今戸(江戸、東日本)の横座りの猫を駆逐したとは、いまどきさんらしい、力強いご意見です(笑)。
私は今もって「かんかん人形(磁器人形、色絵人形)」の招き猫が何のために、誰をターゲットにしてつくられたのかよくわかっていません。水滴でないものは、やはり全部射的の的だったのでしょうか?水滴に関しては横座り猫があります(http://koharu2009.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html)。
鴻巣の招き猫も今はみな正面を向いていますし(いつ頃からつくられたのか、新しそうですが)、正面向きの仙台の堤人形は独特の味を出していますが、江戸を飛び越えて、直接伏見からもたらされたもののように感じます。あっ、地震で割れてしまったので忘れていましたが、花巻人形は横座りでしたね。
世間では招き猫のルーツは今戸か豪徳寺かと言われています。豪徳寺で焼いた形跡がなく、もともとは距離的に近い今戸焼の招き猫を授与していたとしたら、もう招き猫のルーツは今戸焼に絞られるのですが、全国的に見ると横座りは少数派というのは、確かに納得できないものがあります。
ただ、日本人は新しもの好きですし、誰かが持っているものをよしとするので、流行ったとなるとそれが売れていく現象が起こったとは想像できます。それはむしろ、横座り招き猫の方が古いという証明であるかもしれません。
ご病気は辛いけれど、個展には間に合ったということをよしとして、これからもよい方だけ見て、早くよくなってください。