2015年10月19日月曜日
生きるということ
今年も八豊祭(やっほうまつり)が、旧朝日小学校、今の朝日里山学校で開かれました。
教室内にも、戸外にも、焼きもの、草木染め、糸紡ぎ、縄やさんだらぼっちや鍋敷きなどの稲わら細工、おもちゃづくりなどのブースがあって、みんなそれぞれに楽しんでいました。
また、有機農家の農産物を売る店や、それらの材料を使っておいしい料理やパンをつくって売る店もありました。
孟宗竹を切って、楽器もつくっている人たちもいました。
はいている靴やサンダルを脱いで、それで竹を叩くと、いろいろな音がでます。
タブラの演奏もあったし、
わらべうたを集めてアレンジして演奏する、馬喰町バンドも来ていました。
そんな中、私たちはやっほうシアターで映画を見ました。
一本は、サティシュ・クマールの「今ここにある未来」で、
もう一本はヴァンダナ・シヴァの「命の種を抱きしめて」でした。
両方のフィルムにたくさんのメッセージがありましたが、どちらにも共通しているのは、人は自然の一部だということ、一人ひとりが生きる基本(歓び)を自分の手に握ろう、ということだったでしょうか。
ほとんどが遺伝子組み換え種子になっているトウモロコシ、大豆などは、アメリカなどだけでなく、輸入されて日本の家畜の飼料にもなっています。安いからと、スーパーに並ぶ肉を買うことは、抗生物質を身体に摂取して、自分の体内環境を悪くするということ。「食を自分の手に取り戻す」、「いつも正しく食べる」ということを、改めて考えさせられました。
インドのサティシュ・クマールも、ヴァンダナ・シヴァもガンジー思想の影響を受けています。
彼らとは別に、バングラデシュには、やはり種子を守り、農民が大企業に支配されない生活を確立しようという、ウビニクの運動があります。また、スリランカには、競争社会に乗るのではなく、「もう一つの発展」をめざそうという、サルボダヤ運動があります。
前者はイスラムの思想、後者は仏教の思想の影響をうけているということになりますが、めざしているのは、衣食住という基本を自分たちの手に取り戻し、生きとし生けるものをすべて慈しみ、生きる歓びを手にしようという、インドの運動と同じものです。
「危機は好機」という言葉もありましたが、今の人間社会の危機はさらなる危機に突入しないで、好機になりうるでしょうか。
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