福音館書店の「たくさんのふしぎ」シリーズの、『わたしのスカート』(安井清子文・写真、西山晶絵、2004年)は、長い間ラオスでモン人に寄り添って暮してきた、今でもラオスに住んでモン人と共にある安井清子さんが書いた、安井さんにしか書けない素敵な本です。
ラオスは山の多い国ですが、小さな平地にはラオ人が住んでいて、山地にはモン人など、いろいろな民族グループの人たちが暮しています。
その、山の村に住むモン人の小学2年生のマイが、はじめておかあさんにモンの伝統的なスカートをつくってもらうお話です。
西山晶さんの絵も、このお話にぴったりの想像力を広げる絵で、まるでモンの村を訪れたような臨場感があります。
絶版になっていて、手に入れることも難しいと思われるので、ここにほぼ全体をご紹介しても、許していただけると思います。
山の村に住むマイは、日ごろはモンのスカートではなく、ラオスのスカートであるシンを身につけています。
マイの住む村の外れに小学校の分校がありますが、ここに通えるのは2年生までです。3年生からは、山道を一時間以上歩いて、自動車道路に近い、ふもとの町の本校に通わなくてはなりません。
ラオスでは、シンは小学校の制服(かそれに準じるもの)として扱われていた気がします。マイのおかあさんは、シンではなくて、女性の普段着のサロン(腰巻)を身につけています。
学校の様子です。
教育は、モン語ではなくラオス語で行われます。
ある日、おかあさんがマイに、
「お正月までに、新しいスカートをつくってあげようね」
と言いました。
マイは喜びますが、すぐできるわけでありません。
まず麻の種を蒔きます。
やがて、育った麻を収穫します。
麻は、刈り取ったその日のうちに余分な枝葉を落とし、四、五日、天日干しにします。
乾いた麻の茎をしならせて、皮の繊維と堅い茎のあいだに指を突っ込み、おかあさんが麻の皮をはいでいきます。
はいだ麻の皮の束を合わせて、大きな麻玉ができました。
その麻玉から、麻の繊維を一つかみずつとっては、おかあさんは暇さえあればつなげます。
ウィキペディアより、麻の繊維 |
しばらく前に、フィンランドから我が家にやってきたPさんは、小さい頃お母さんが麻を育てて糸にして、それを織って、服やシーツなど、家のすべての布をつくっていたと話していました。 日本も含めてちょっと前まで、麻がもっとも身近な繊維だった文化が、世界中に広がっていました。
麻とは、大麻(たいま=ヘンプ)、苧麻(ちょま=からむし)、亜麻(あま=リネン)などの総称ですが、ここでは大麻です。その茎の繊維を、どうつなげて糸にするのか。いろいろな地域でいろいろなやり方があります。
おかあさんは、出かける時も、麻の繊維をつなぎながら歩きます。つないだ麻は、片手に8の字に巻きつけていき、手の甲に巻いた麻の繊維がいっぱいになるとはずして、新しい巻きをはじめます。
こうやってつないだ麻の繊維を巻いたものを、家の梁に並べておきます。
そして、全部つなぎ終わったら、撚りをかけます。
撚りをかけた麻糸は、「かせ」にします。
「かせ」を大きな鍋に入れ、灰を加えて三日間煮ると、糸は真っ白になり、柔らかくなります。
モンのスカートは、着る人が両手を広げた四倍の長さの布を、上下三段に接いでつくります。
ということは、着る人が両手を広げた長さの12倍の布を織らなくてはなりません。
一番上は白いまま、二段目はろうけつ染した布にさらに赤い布でアップリケをしたもの、そして裾には総刺繍した布をつなぎます。
真ん中の布は、ろう(蝋)で模様を描き、藍で染めてから布を煮て、ろうを取り除いて模様を出す、ろうけつ染めの方法で染めます。
ろうけつ染めに使う蜜蝋(みつろう)を採るために、蜂の巣を採ってくるのは、おとうさんの役目です。
蜂の巣を10分ほど煮ると、溶けます。
それを水に落とすと、ろうが固まります。これが蜜蝋(みつろう)です。
おかあさんはまず、染める布を丸太と石の板にはさんで、ゆさゆさとゆらします。すると、布はアイロンをかけたように滑らかになります。
次に、囲炉裏のそばにすわって、蜜蝋を温めて溶かしながら、おとうさんがつくった道具で、布に模様を描いて行きます。
おばあちゃんが、石灰石を拾って来ました。
ふいごで風を送って、石灰石を高温で焼きます。
村の人たちが共有して使っている石焼場のようです。丸太をくり抜いてつくってあるらしいふいごが素敵です。
その焼けた石を水に入れると、ほろほろと崩れ、白いドロドロの液体になります。
畑から藍の葉を採って来て、ドラム缶いっぱいの水に浸します。
3日間浸したあと、葉を取り除くと、水は薄い緑色になっています。そこに、石灰石を溶かした液を加えてかき混ぜると、薄い緑色だった水は青くなり、泡がたってきます。
そこに、ゴマ粒のような小さな種を噛んで、唾と一緒に藍の液体に混ぜます。
おかあさんがいろりの灰に水を注ぎ、布でこして「灰汁(あく)」をつくります。
その灰汁に、おばあちゃんのつくった藍の染料を入れます。そして、おかあさんが蝋で模様を描いた布や、裾の刺繍をする布を染めます。
藍は、一度では濃く染まりません。染めては干し、干しては染めると、だんだん濃い色になっていきます。
裾の布には刺繍をします。
裏を見ながら、たてよこと刺しますが、見てない面(表)で糸を交差させます。
表替えしてみると、きれいなクロスステッチができています。
おかあさんが蝋で模様を描いて染めた布のぎざぎざ模様の上に、赤い布をリボンのように細く切ってアップリケします。
刺繍もアップリケもすべてできました。その布をつなぎあわせてから、おかあさんがつまんで細かいプリーツをとり、何ヶ所も強い糸で縫い縮めて、馴染むまで置いておきます。
おばあちゃんが抱いているのは、おばあちゃんの結婚式のときに着たスカートです。おばあちゃんのおかあさんがつくってくれたもので、あまり嬉しくて一度着たきり、またプリーツをとって、たいせつにしまっています。
さて、陸稲(おかぼ)の収穫も終わり、
お餅を搗いたりして、お正月の準備が整いました。
普段はシンを着ているマイは、初めて自分の、モンのスカートを着られることになりました。
マイの嬉しさが伝わってきます。
絵の素晴らしさとも相まって、本当に素敵な絵本です。
すごーーーい!!!1枚のスカートを作るためにこれだけの工程を経てるなんて感動!まず種を蒔きます、でずっこけました。そ、そっからー?!そう言えばPさんの話の時もびっくりしたのでした。藍染の時、唾も入れるのが面白いですね。化学反応?
返信削除日本でも昔から麻はあったのでしょうか?最近リネンが流行りだけどそれとは違うのかな?私が着るのも夏場はリネンの服ばかりになります。布団のフラットシーツも生地屋さんで幅広のリネンを買ってそのまま使ってます。湿気の多い日本に適した生地だと思うのですが値段が高いのが難点です。
hiyocoさん
返信削除あの唾とともに入れる種は何の種でしょうね?書いてありません。でも唾って織物には重要です。日本でカラムシだったかしら、芭蕉だったかしら、つないで撚りをかけるときは唾をつけるのですが、若い人の唾が重要な役割を果たします。おばあちゃんでは唾液の量が足りないのです(笑)。
日本でも昔から麻はありました。というか、上流階級独占の絹をのぞいては昔は麻しかなかったのです。日本での木綿はたかだか400年の歴史です。明治の女性の暮しの聞き書きの本を見ると、青森の女性が一生に麻の着物三枚しか持っていなかったって。泣きました。日本の麻は上杉謙信も奨励しましたが、カラムシが一番多かったのではないかな、越後上布です。シナの皮とか芭蕉の繊維もひっくるめて「麻」と言えば、もう麻だけでした。
昔はもっとも庶民と共にあった麻ですが、機械化しているとはいえ、木綿より糸にする工程が面倒なのかもしれません。木綿は熱帯の途上国と呼ばれる地域で安い労働力でできますが、亜麻(リネン)は温帯(ヨーロッパ)がおもで手間賃が高い。熱帯でも育つ大麻はハッシッシとして使われるからと栽培を禁じられている、だから麻はいま割高になるのでしょうね。それでも、化繊があるから、麻が日本人の手にも届いているのだと思います。
なんと!、一着の服を作るのにこれだけの行程を経るのか…と改めて認識しました。それとしみじみこの地の人たちの文化の深さというか多様さに感動しました。布だけでも一苦労なのに、ろうけつ染めのための蜂の巣採りや、藍染めのための石灰石…!よくわからない唾液…!(私ならせいぜい藍染めまででやめてると思いますが…(^^;))
返信削除後の刺繍やアップリケも一苦労…。(私はつい最近モン族の刺繍を知ったばかりです)なんか服をお気楽に買って、要らないのを古着に出してしまうような生活が恥ずかしくなってきます。
絵本も力作ですね。写真だけより、ずっとわかりやすくて、もっと広く伝わればいいのに…って春さんの紹介でやっと私が知ったのですが。何かを世に伝えたい時に、これだけの絵が描けるっていうのは説得力ありますね。
実際の写真も絵本に載ってたものなのですか?
karatさん
返信削除素敵なスカートだし、素敵な絵本でしょう?
今はTシャツ、サロン、シンなど着て、民族衣装を着ているのはおばあちゃんだけになってしまっていますが、30年ほど前にはモンだけでなく他の山地に住む人たちも誰もが民族衣装を、日常的に着用していました。服だけでなく、衣食住すべてつくって、道具もつくって、ないもの(銀など)は交易で手に入れて暮していました。
写真はすべて安井さんが撮られたものです。長く付き合っていなければ、ちょっと足を運んだだけでは写せない写真ばかりです。
絵を描いた西山さんも絶対に村に足を運んでいるでしょうね。外国の絵を描くときは、わからないところはなんとなくごまかしたりする絵描きさんもいますが、隅々まで丁寧に描かれていて、写真だけよりずっとわかりやすい、本当にどこから見ても素敵な絵本です。
安井さんは今年、宮崎の木城えほんの郷へ来られました。私は別用があり講演会に行けませんでしたが、ラオスに建設した図書館のお話をされたそうです。その後、モン族の刺繍の筆箱だけ買い求めて今使っています。この本のことは知りませんでした。どこにでも普通に生えるカラムシを見ると、江戸以前に貴重な植物だったその名残では?と妄想が膨らみます。
返信削除mmerianさん
返信削除安井さんとは、もしかしたら一度くらいしかお会いしたことがないのですが、お互いに近しいNGOで働いていましたので旧知の間柄です。異文化の人たちと日常的にせめぎ合って、お互いによりよい社会をつくろうとすることは重く、考えさせられることなので、ともすれば自分に負けてしまいますが、安井さんはしなやかに長くやっていらっしゃいます。
ところで、モンはヴェトナム戦争の陰で「報道されなかった戦争」に巻き込まれ、多くの人々が死に、戦争終結後は海外に30万人も難民として渡りました。異国での生活、国を出た人とラオスに残った人との溝などなど、他人ごととはいえ、考えるだけで頭が痛くなりますが、安井さんの笑顔を見ると、何とかなっていくと思われるのが不思議です(笑)。
そう、カラムシは大切な繊維だったんでしょうね。私も去年繊維を採るところまではいきましたが、糸をつくるところまで行きませんでした(笑)。友人にいただいた、糸つくりのお試しセットも手つかずです。