先日、集落の氏神さまの金比羅神社のお祭りがあり、幟が立っていました。
ここは集落の中でも、「宿(しゅく)」と呼ばれるところ、家が街道に沿って軒を連ねています。昔は筑波山詣で、足尾山詣で、加波山詣でなどの人たちのために、お宿もあったのでしょう。 塩の道のお宿であったかもしれません。
お祭りは、山車もなにもない、静かなものでした。
幟(のぼり)は、今の世を、昔と未来につなげる「装置」です。
これを見ると、目の前にはいない昔の人々が思い出され、見たこともない未来の人たちに、思いを馳せることができます。
今住んでいる集落の、江戸時代の古地図です。
ほぼ中央が宿のあたり、金比羅神社の鳥居が見えます。今はそのまわりに郵便局があり、お蕎麦屋さんがあり、コンビニがあります。
そして、赤い点が我が家の位置です。
鳥居から我が家まで歩くと、20分くらいかかるでしょうか。
この、低く張り出した丘の、真ん中あたりに我が家があります。
電信柱の右側に、細く細く見えるのが、我が家の
こいのぼりの籠玉です。
時を経て、変わるものあり、変わらぬものあり。
時はゆっくり、そして急いで流れています。
道のわきに何気なく立っている二十三夜供養塔も江戸時代に建てたもの、その近くに、昭和になって建った分家の屋号は、二十三夜供養塔の一部をとった、「さんや」です。
ほうほう、幟というのは今と昔、そして未来とをつなげる装置だったのですか。
返信削除そういう想いの込められたものだということは知りませんでした。
そういう風習がそこかしこに残っている地域に、縁があって暮らすことになって
玉手箱をひとつひとつ開けているような気分ですね。
kuskusさん
返信削除実際には色々なことがつながっているのだけれど、日常生活では忘れていることもあるのを、幟とか精霊流しの舟とかが、思い出させてくれる装置だって思いません?
自分の力で生きていると思っているけれど、両親、祖父母たちがいなければ、私もこの世にはいなかったというか、延々と命をつないできたってこと、すごい不思議なことだと、幟を見上げると感じます。
そんなことを感じさせてくれる土地って、確かに玉手箱です。生きているうちに、そんな出逢いがあってよかった(笑)。田舎万歳、万々歳です!
自然と共存しきた生活があまりにも早く忘れていますね、
返信削除過疎地になったせいもあるでしょうが地域の方々や
参加する楽しみが嬉しいですね。
由緒ある神社も神輿の担ぎ手が、、、、。
昭ちゃん
返信削除集まっていたのは役員さんたちだけでしたよ(笑)。でも八郷の中心である柿岡のお祭りや石岡のお祭りにはたくさん山車が出て、「どこにこんな若い奴らがいたんだ?」と驚くほど若いのがわらわらといて(笑)、子どもまでひょっとこのお面をつけて踊り狂ったりしています。
実はお寺があっても、あたりの家は別の寺の檀家になっているとか、神社の氏子も散らばっているとか、結構複雑な歴史を持っているようです。また、八郷は農業的には豊かだったので、いろいろな藩の直轄地になっていて、細かく分かれていたようでした。
古い人にいつから住んでいるかと聞くと、たいてい話は南北朝時代にさかのぼり(笑)、江戸末期に来た人なんか、「うちは新参者です」と言っています(爆)。地図にある宿も、下宿には古い家(農家)があって何事も難しく、上宿には宿が栄えるようになってから来た人(昔は商家)が住んでいて、決め事など比較的簡単、数年前に来たお蕎麦屋さんは、「上宿でよかった」と胸をなでおろしています。